人気ブログランキング | 話題のタグを見る

聖書のメッセージ

onthewaychapel.exblog.jp

川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

ブログトップ

5月28日「熱心さの履き違え」ローマ10:1~13

本論:Ⅰ・「ユダヤ人の熱心」

  1. パウロの願い
    神様の願いであるように、パウロもまたすべての人が救いに導かれることを願っていた。そのために、あえてユダヤ人があまりに律法を順守することにおける間違いを指摘し、真実が何かを伝えようとした。

  2. ユダヤ人たちの熱心

    ユダヤ人たちは律法を一字一句守ることに熱心であった。しかしその熱心さは知識に基づくものではないとパウロは指摘した。知識とはイエス・キリストを知る知識である。イエス不在の熱心さはやがて自分自身の義を立てる行いに至る。このキリストへの不従順さがユダヤ人の態度の中心となってしまっていた。熱心さの方向性がずれてしまっていたのだ。

   Ⅱ・「私たちの熱心」

  1. 私たちの熱心はどこに

    私たちも日々、一生懸命神様を見上げ、イエス様の救いに感謝をし、神と共に歩もうと熱心に励んでいる。しかし、それは時に律法主義的な義務的な信仰になってしまう。それは難行苦行となる。私たちは神の愛ゆえに熱心でありたい。喜びと感謝が心から湧き出てくるような、信仰生活を送りたい。それが動機となる時、自分の義よりも神の義が第一となるのだ。

  2. ギデオン協会の熱心

    本日はギデオン協会の働きをおぼえての礼拝。かつて私もお手伝いをしたことがある。その尊い働き、熱心さには頭が下がる。10:1415。ギデオンの方が配った聖書をきっかけに救いに導かれた人がどれくらいいるのだろうか?自分たちの義を立てるためだったら、とっくに諦めて、心折れても仕方ない働き。主への熱心さ、信仰の義ゆえにできる働きである。

結論:私たちには限界がある。それを自覚しないで自らが完全であるかのようにがんばることは、キリストを蔑むことであるとパウロは指摘した。ユダヤ人たちは律法を完全に守ることに熱心であった。しかしそれは不可能なことであった。人間の努力で天に行くことはできない。神の力に頼るしかない。イエス様の十字架を信じるしかない。自分の努力を中心にするとき、それは自分を主とすること。私たちはキリストを主としたい。なぜならば、それしか救われる方法はないから。だれでも、イエスを主と告白するとき、私たちは祖の信仰ゆえに義とされ、救いに与り、天の御国へのチケットをいただくことができるのだ。

川越国際キリスト教会ホームページ
http://ontheway-chapel.net/


by ontheway-chapel | 2017-06-01 16:28 | Comments(0)

by ontheway-chapel