聖書のメッセージ

onthewaychapel.exblog.jp

川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

ブログトップ

9月10日「祝宴への招待状」ルカの福音書15:11~24

本論:Ⅰ・「あるがままの私」

  1. 自分勝手な私

    ここに登場する弟は生前贈与を求め、財産を手にした後、自分の生きたいようにと願って父の元を離れた。その先にある新しい人生は非常に魅力的であり、希望に満ち溢れたものに見えた。私たちの人生においても、魅力的、希望に満ちた世界を、より良い生活を必死に探し求めている人がたくさんいます。みんな自分の人生を何とか良くしたいと願っている。

  2. ボロボロの私

    弟は財産を使い切ってしまった。財産がある時には近づいてきた人たちも、手のひらを反すように離れていく。そして大飢饉までが彼を襲った。自ら望んだ魅力と希望に満ちたはずの人生がボロボロになってしまった。人生のどん底にまで突き落とされてしまった。自分の力ではどうすることもできない現実を前に、一体どこに希望を見出したらよいのだろうか?

Ⅱ・「あるがままを受け入れる神」

  1. 待っていてくれる

    弟はふと我に返る。そうだ、父親のところに戻ろう。自らの失敗を素直に認め、そのうえでなお父を頼って帰ろうと思った。それも親子関係などおこがましい、父の奴隷でいいから側においてもらうという。父から離れた時の自分勝手な姿はなくなり、唯一の希望である父の元へとたどり着いた弟を、父は首を長くして待ち続けていて、ボロボロの彼を受け入れた。

  2. 祝ってくれる

    父は喜んで弟を迎えてくれた。それも盛大な祝宴まで用意して歓迎してくれた。弟はまさに私たちその物であり、待っていてくれた父は神である。神は自分勝手な私たちを見守り、待ち続けてくれる。そして受け入れてくださり、盛大な祝宴を用意して歓迎してくれる。ここに本当の希望があり、魅力あふれる人生がある。その招待状を私たちは手にしている。

結論:いただいた招待状は、有効期限がない。いつでもそこに行き祝宴を受けることができる。そのための唯一の条件は、弟がそうであったように自らの歩みを振り返り、本当に変えるべきところはどこか?本当の希望はどこにあるのか?どこに行ったら魅力ある人生を送ることができるのか?を見つけることである。招待状を手にしていても、どこに行っていいかわからず、さまよっている人がたくさんいる。でも神は待っていてくれる。そして戻ってきたとき、盛大な祝宴が開かれる。神はあなたを歓迎し祝宴を開くことを待っておられる。


[PR]
by ontheway-chapel | 2017-09-11 15:35 | Comments(0)