聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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10月29日「不滅のことば」エレミヤ書36:21~32

本論:Ⅰ・「目は開かれているか」

  1. 見えないものを見る

    神がエレミヤに巻物を記すように命令した目的は、民が自らの歩みの間違いに気づき、神に立ち返るためであった。それによって神は民の罪を赦すことができる。そして書き記された巻物が民の前に朗読された。みことばを聞いた時、見えない神の存在を見ることができた。

  2. 神のみわざを見る

    みことばを聞き神がこれからなそうとするみわざをおぼえ、恐れおののいた。真実と認めて受け取ることができる者もいれば、みわざを見ず、あえて見ないふりをしようとする者もいる。私たちも自分の都合で見ようとしたり、見ないようにしてしまったりしてしまう。

Ⅱ・「聖書を切り裂く小刀」

  1. みことばを疑う

    ついに巻物はエホヤキム王の前で朗読されることとなった。しかし、それは王にとって受け入れがたい内容であった。自分を否定し、立場を危うくする内容。彼は巻物を小刀で切り裂いた。我々も自分に都合の悪い箇所を拒絶したくなる誘惑に襲われる時があるかもしれない。

  2. みことばを焼き捨てる

    王はみことばを切り裂き、火で焼き尽くした。それは無かったことにする行為。聖書を、神のみことばとの決別を意味する。しかしそれは、自らの人生を切り刻み、焼き尽くす滅びに向かう行為である。神のみことばの全てを受け入れるとき、その人生は豊かにされていく。

Ⅲ・「みことばは永遠なり」

  1. 切っても焼いても滅びない

    これまで多くの人が聖書を疑い、拒否し、焼き捨ててきた。しかし、神のみことばは決してすたれることも、消え失せることもない。そしてすべてが真実であり、必ず成就していく。同じようにみことばに生きる人のいのちも決して滅びることなく永遠に生きるのだ。

  2. 聖書のみ

    31日はルターの宗教改革記念日。今年で500周年になる。聖書のみ、信仰のみ、万民祭司という提言は今も色あせることなく受け継がれている。聖書のみことばを疑うことなく、選り好みすることなく、ただ純粋に信じ、その通りに生きていく人生を目指していこう。

結論:クリスチャンはそれぞれに好きなみことば、聖書箇所があるかと思う。自分の指針となるみことばを握っていることは何と幸いなことだろうか。同時に、受け入れがたい、あまり信じられない、生理的に、心情的に苦手と感じる個所もあるかもしれない。しかし聖書のみことばはすべて神の霊感によって書き記された真実であり、一点一画も付け加えることも削ることもできない。だから私たちは全てを受け入れたい。多くの人はただの物語で事実ではないと疑い、自分には必要ないと拒否する。それではみことばを託した神の目的である救いを受け取れない。永遠なるみことばこそが事実であり、私たちに最も必要なことであるからこそ、神のみことばを大切に、日々いただき、素晴らしい人生、人間本来約束されている最高の幸せを手にしていこうではないか。

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by ontheway-chapel | 2017-11-02 11:31 | Comments(0)