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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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死の陰の谷を歩む、という経験をしたことがあるでしょうか?
そこまで大げさではなくても、私たちはこれまでにもたくさんの試練、逃げ出したくなるような困難に遭遇してきたかと思います。
これまで見てきたように、ダビデもそのような大変な人生を歩んできました。
しかし、私はわざわいを恐れない。
主が私の羊飼いとなって、私の人生を、あらゆる危険から、困難から守り救ってくださると確信していました。
この23篇はダビデが晩年にその人生を振り返って読んだ詩であると言われています。
自分の人生を振り返ってみた時、いつもそこに神様の守りがあった。
神様は決して自分を見捨てることなく、助けてくださった。
道を逸れてしまうこともあったけれども、羊飼いが持つ杖とむちをもって、私が迷子にならないように支えてくださった。
ダビデはそこに最大の慰めを感じることができました。
辛い時、悲しい時、神様の守りこそが私たちを慰め、そして前を向いていっぽ足を踏み出す力と勇気を与えて下さるのです。
私が何か偉いことをしたから、すごいがんばったから、ではなく神様が私たちを愛してくださり、その恩寵、恵みとしてそのように守り導いて下さるのです。
皆さんにとっての慰めは何でしょうか?


# by ontheway-chapel | 2021-05-04 15:58 | Comments(0)
聖書に登場するダビデという人物は、本当にたくさんの試練を通ってきました。
王様からの誤解と嫉妬によって、いのちを執拗なまでに狙われ続け、逃亡生活を送りました。
ようやく王様になったと思ったら、息子からいのちを狙われ攻撃を受けるということもありました。
私たちの人生においても、安心できる場所がないほどに、様々な問題、困難が襲ってくることがあります。
だからと言って自暴自棄になり、好き勝手に生きていいというわけではありません。
何が一番信頼できるのか?
ダビデは身近な人からアドバイスをもらいました。
しかし、もっともらしい内容でありましたが、そこには神さま不在のこの世的な視点におけるものでした。
しかしダビデはそうではなく、神様の守りにこそ信頼を置き、そこが自分の安心できる場所として生きました。
実際に幾多の困難はありましたが、ダビデは守られ、本当に素晴らしい人生を送ることができたのです。
主に身を避ける。
ダビデが選択した安心できる場所を目指してみてはいかがでしょうか?

# by ontheway-chapel | 2021-05-04 15:51 | Comments(0)
今日の聖書箇所詩篇の最初の言葉は「幸いなことよ」となっています。
「幸い」とは「真っ直ぐに歩む」と言う意味があるそうです。
幸いな人生を送るためには、真っ直ぐに歩むことが大切なのですね。
でもその目指す道が間違っていたら、どんなに真っ直ぐに進んでも幸いな人生を送ることはできません。
私たちが目指す道は、神様の喜ばれる道です。
神様は私たち人間の人生が「幸せである」こと、たくさんの試練、痛み、苦しみ、嘆きもあるけれど、最後には心から神をほめたたえることができるように、と願っておられます。
そのために、この世にあって渇き切った私たちの人生に憩いの水を与え、その水を飲むことでその人生に豊かな実を結ばせてくださるのです。
神様はそのために、イエス・キリストをこの世に送ってくださり、私たちが幸いなる人生を送れるようにと道を備えてくださいました。
主はその道を進もうとする私たちを丁寧に最後まで見捨てることなく面倒見てくださいます。
幸いなる人生の源は、この神を真っ直ぐ目をそらさずに見つめ、イエスの水を飲むことであります。
ご一緒に幸いなる人生をおくろうではありませんか。。


# by ontheway-chapel | 2021-05-04 15:44 | Comments(0)
死んだ人がよみがえる。
普通に考えたら「有り得ない」と思うだろう。
イエス・キリストの復活を目撃した弟子たちも同じでした。
まるで幽霊を見ているかのような思いになったというのです。
誰の心にも疑いが生じることがあります。
しかしそこには思わぬ罠があります。
自分の常識にとらわれていると、新しい発見は生まれません。
自分の殻から一歩踏み出すとき、そこには信じられない大きな喜びが生まれるのです。
弟子たちは疑うところから一歩踏み出した時、手に余るほどの大きな喜びを得ることができました。
私たちも、現代にあって様々な問題を前にして立ち止まってしまうことがあります。
困難を前に自分の常識で立ち向かおうとします。
しかし、一歩踏み出すとき、そこには新しい発見、大きな喜びが待っているのです。

# by ontheway-chapel | 2021-05-04 15:38 | Comments(0)
「イースター(復活祭)」という言葉は、様々なテーマパークなどでもイベントとして盛り上がりを見せて、多くの人に浸透しているように感じます。
しかし、よくよく調べていくと、イースターを「春をお迎えする日」などと聖書でいうイースターとは少々違った形で表現されています。
これはちょっと、というかかなり残念ですね。

イースターは復活祭、とあるように、イエス・キリストが十字架にかけられ死なれた。
その3日後に墓の中からよみがえられた、ことを記念しお祝いする日です。

では、なぜ世界中でイースターが祝われるのでしょうか?
イエス・キリストの復活と私たちに何の関係があるのでしょうか?

私たち人間にとって最大の恐れは「死」といっても過言ではありません。
多くの人は死の先に何があるのか?と不安を感じます。
死んだらどこに行くのか?
死の先には何もないのか?
死んだら私という存在が忘れ去れれる…

そうした恐れ、不安をもたらす「死」に打ち勝って、よみがえられたのがイエス・キリストです。
イエス・キリストを信じる者は、やがてこのイエス・キリストと同じように、死んで後よみがえる(復活する)のです。
そして、天国において永遠に生き、喜びと感謝につつまれた、すばらしい世界が待っているのです。
イースターの意味を考えつつ、ともにお祝いしませんか?


# by ontheway-chapel | 2021-04-07 17:31 | Comments(0)