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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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クリスマス、おめでとうございます。
クリスマスは、私たちのためにあり、私たちに本当の喜びと希望を与えるために備えられた特別な日です。

さて、イエス・キリストとはどのようなお方なのでしょうか?
三位一体という表現があるのですが、父なる神、子なる神、聖霊なる神が聖書には記されていますが、いずれも神とあるように一つなのです。
詳しい解説をしていくと、ここでは書ききれないので省略しますが、子なる神というのがイエス・キリストを指しています。

つまりキリストは神であるということです。
しかし、神でありながらも人としてこの地上に来られた。
しかも完全な人としてお生まれになった。
神という地位にいながら、しかしそれを完全に捨てて、完全なる人となってこの地上にお生まれになった。

そこから見えてくるのは、イエス・キリストは人類のために喜んで自分をささげるお方であるということ。
そのお方が、私たちの罪を取り除くため、私たちの罪による刑罰を身代わりとなって受けてくださるためにお生まれになり、十字架への道を進まれたのです。
クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日でもありますが、私たちのために神の特権を捨てて、私たちの罪を贖うために、死んでくださるほどの愛が示された日でもあります。
つまり、私たちのためであり、私たちにとって本当に喜ばしい日であるのです。
だから、世界中の人がお祝いするのです。

クリスマスの本当の意味をもう少し詳しく知りたい、という方はぜひ教会に行って、牧師さんに聞いてみてください。
きっと喜んでお話をして下さいますよ。
それがあなたへの最高のクリスマスプレゼントとなることでしょう。

# by ontheway-chapel | 2022-12-25 15:25 | Comments(0)
聖書には旧約聖書と新約聖書があります。
かつて、教会に行き始めたばかりの私は、まずは聖書を読んでみようと試みました。
先輩たちのアドバイスによると、旧約聖書よりも新約聖書の方がわかりやすく、読みやすいからおススメだとのこと。

さっそく新約聖書の最初、マタイの福音書を開いてみると…
いきなり、よく知らない人たちの名前の羅列…
3日坊主という言葉がありますが、1日で挫折しました。

しかし、今改めて読んでいくとそこには深い目的があることを発見できます。
キリスト誕生に至るまでの歴史がそこには描かれており、いわゆるキリストの系図というものが記されています。
それは長い年月、歴史があります。
神様の遠大なる救いのご計画が、この長い歴史の中でついに成就した。
それがクリスマスです。
そして、この系図にはおもしろい特徴があるのですが、そこに登場する数名の女性たちです。
彼女たちは、キリストの系図に必ずしもふさわしいと思えない。
血筋の良さ、家柄の良さを強調したければ、敢えて外してもいい人物といえるかもしれません。

でも逆に言うならば、キリストは誰か特権階級や、権力者として生まれたのではなく、ごくごく私たちと同じ立場でいてくださる存在として生まれた、ということです。
つまり、キリストはすべての人のために、すべての人の救いのためにお生まれになった、ということがここから見えてくるのです。
聖なるお方が、神なるお方が、特権階級を捨てて、あえて私たちのすぐ側に来てくださった。
これがクリスマスであり、すべての人がお祝いする所以なのです。


# by ontheway-chapel | 2022-12-11 15:15 | Comments(0)
約2000年前の最初のクリスマス。
それは実に静かな夜でした。
マリアはいよいよ時が満ちて、出産の時を迎えようとしていました。
しかし、旅の途中であったため、彼らは泊まる宿を探していましたが、当時多くの人が集まって来ていたため、彼らが泊まれる宿がありません。
仕方なく、彼らは馬小屋で小さな男の子を産みました。
それがイエス・キリストでした。

つまり、全世界の救い主となるイエス・キリストを迎える家がなかったのです。
しかし、イエス・キリストを迎える本当の場所は家ではなく、私たちの心の内なのです。
なぜ、私たちの心の内にお迎えしなければならないのか?
それは、私たちに本当に必要なものだからです。
私たちに必要なもの、それは神の愛です。
神様はその愛を届けるために、イエス・キリストをこの世にお与えになったのです。
そして、その愛の結晶がクリスマスなのです。

クリスマス、楽しくワイワイプレゼント交換するのもいいですが、神の愛をしっかりとその心にお迎えしてみませんか。

# by ontheway-chapel | 2022-12-04 15:04 | Comments(0)
教会の暦では、今日からアドベント(待降節)をむかえます。
イエス・キリストのご降誕を待ち望む期間とも言われています。

では当時の人々は何を待ち望んだのでしょうか?
旧約聖書のイザヤ書では「光を待ち望んだ」とあり、闇の中を歩んでいた人たちに光が与えらえる、と預言されています。
人々はその光が来るのを待ち望んだのですね。
当時この預言は、敵国に攻撃され、イスラエルは崩壊し、多くの人が敵国へ捕囚の民として連れ去られていた時代でした。
そのような苦しい時代だからこそ、光を期待を持って待ち望んでいたのです。
しかし、実際にこの預言が成就するのはそれから約700年後のことでした。

現代も闇が支配しているかのように、戦争が起こり、民族紛争があり、貧困や飢餓で苦しんでいる人たちがたくさんいます。
経済が不安定で、人間関係も難しく、生きる気力が日々そがれていくような、どこにも希望を見出せないような時代です。

聖書の時代の人たちも希望の光を待ち望みつつ、しかし実際には見ることがありませんでした。
しかし、そうした人たちは何と「はるか遠くにあるそれを見て喜び迎えた」と聖書に書かれています。
目にすることはなかったかもしれないけれども、神様の約束を信じ、待ち望んだのです。
聖書はそのような人たちの生き方を「信仰」と呼んでいます。

私たちもこの地上だけを見ていたら、自分たちの身の回りに起こる出来事だけを見ていたら、なかなか希望を見出せません。
でも目には見えないけれども、その希望ぼ光を信じて待ち続けたいと思います。
かつての信仰の人たちの、その信仰に連なる民として、確かな光を喜び迎えるお互いとさせていただきましょう。

# by ontheway-chapel | 2022-11-27 15:51 | Comments(0)
さて、再びヨナさんのお話です。
荒れ狂う海に投げ出され、大きな魚に飲み込まれてしまったヨナは、必死に神に祈りました。
とんでもない試練を通されるなかで、ヨナは神に祈ることを思い出し、必死に祈りました。
そしてその祈りを神様は聞いてくださったのです。
ヨナは神様によって、救い出され、今度は神様に従う者となりました。

最初に行けと言われたニネベの町に今度は文句も言わずに、向かうことができました。
そしてそこで、あと40日でこのニネベの町が滅びると町中に伝えていきました。
かつて敵国に行って、他の神々を信じる人たちの前で神様の命じることを語るように言われ、怯えていたヨナの姿はもうありませんでした。
そして驚くことに、ヨナの語った「40日後にこの町が滅びる」という言葉をニネベの人たちは皆信じたというのです。
普通に考えたら、どこに誰かもわからないようなヨナ。
敵国から来たヨナが、自国の滅びを宣言しているのですから、反発されても、あるいは拘束されてもおかしくない状況です。
しかし、神のことばには人々の心に突き刺さる力があったのです。

ニネベの王様はじめ、なんと動物に至るまで、みんなが神様の前に悔い改め、赦し求めたというのです。
かつての私も神様など信じない、と心を頑なにしていた時期がありました。
でも、今振り返ってみると、不思議なように神様の許へと導かれていったのですね。
理屈じゃない、何かが私の背中を押したのです。

そして神様はこのニネベの町の人たちの、真剣な悔い改めの祈りを聞いてくださり、この町を滅ぼすことを思い直したというのです。
神様は、例えそれまで徹底的に神様に歯向かって、逆らって、敵対していたとしても、真実な悔い改めの祈りをささげるならばそれを聞いてくださるというのです。

これは私たちへの大きな希望ではないでしょうか?
日本でも多くの人が聖書の神様など信じない、必要ないと避けています。
しかし、そのような人であっても、いつかどこかで、本気で求めようと思うならば、神様は喜んでその人を受け入れてくださるのです。
神様の愛は無限大です。
だからそこに確かな希望を見出すことができるのではないでしょうか。


# by ontheway-chapel | 2022-11-20 15:40 | Comments(0)

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