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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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4月2日「ぶどう園の譬え」マタイ21:28~46

本論:Ⅰ・「二人の息子の話」
  1. 口だけで従った者

    兄は父の願いに快く返事はしたが、実際には従わなかった。これはまさに表面的には宗教的敬虔さを装っていながら、実際には自らの名声を求めていた当時のユダヤ教指導者たちの姿である。彼らは「先の者」であり、イエスを救い主と認めることができなかった者たち。

  2. 実際に従った者

    一方、はじめは拒んだものの、悪いと思い出かけていったのは、取税人や遊女であった。彼らはカイザル(ローマ)に仕え、または姦淫を犯して神に背いていた人たちであった。しかし、彼らはヨハネの悔い改めを受け入れ、イエスに従うことができた「あとの者」であった。

Ⅱ・「ぶどう園の譬え」

  1. 譬えにおける登場人物

    この譬えにおいて、ぶどう園はイスラエルの民を、ぶどう園の主人は神ご自身を、農夫はイスラエルの宗教的指導者。しもべは預言者たちであり、息子はイエス様であった。そしてこの譬えは当時のパレスチナにおいてはごくありふれた身近な光景であったという。

  2. 譬えから教えられること

    この譬えにおいて神、人、キリストという3つのことについて教えられる。神は人を信頼し、忍耐された。人は特権と自由が与えられたが、同時に罪と清算が与えられていた。キリストは神の子であること、そして犠牲を負うという神のご計画と福音が明確に語られている。

Ⅲ・「キリストのさばき」

  1. さばきを与える主

    旧約聖書には石について語られている個所がいくつかある。(イザヤ書8章、28章、ダニエル書2章)そしてそれらはすべてイエス・キリストを指している。イエスはすべての礎となる石であり、すべてを組み合わせる石となり、拒む者にはさばきの砕く石となる。

  2. 罪に光を当てる主

    イエスはこれらの譬え話のなかで、人々に自らの罪を認めることができるようにと促し、気づきの機会を与えてくださっている。神の深い憐みと恵みに感謝しよう。このキリストの光に対して、罪を認めて悔い改めるのか、なお逆らい続けるのか。私たちは問われているのだ。

結論:私たちは神の恵みと憐れみを存分に受けているが、実は多くの人がそこに気づいていない。だから、イエス様の十字架も他人事で、自分には関係ない、必要ないと感じている。でもそのままでは、人間はやがて神のさばきにあって滅びの道に進んでしまう。そうならないために、神はイエス・キリストを通して、私たちが罪を認め、悔い改めて救いの道に進むことができるように道を備えてくださった。その道に進むのか、拒んで滅んでいくのかは私たち人間に託されている。自らの罪を認め、救いの道へ、天の御国を目指そうではないか。





by ontheway-chapel | 2017-04-02 21:16 | Comments(0)

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