聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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1月14日「希望の源」Ⅰペテロ1:21

本論:Ⅰ・「キリスト不在の希望」

  1. 希望とは

    多くの人が希望とは何か?と問われたら「将来的に何か良いことが起こるのではないかという期待」というものを漠然と思い描くだろう。そしてすべての人がこうした希望を胸に抱く。しかし聖書に記されている希望とは、神を信じて救われた者に与えられる賜物である。

  2. 漠然とした希望

    こうした希望を抱く中で、その希望の根拠はどこにあるかと問う時、大きく二つに分かれる。それはキリストがそこにあるかないかである。キリスト不在の希望は無知であり、欲に満ちたもの(14節)であり、自分中心の虚しい、先のないものとなってしまう。

   Ⅱ・「キリストに満ちた希望」

  1. 聖なるお方から与えられた

    ペテロは私たちの信仰と希望は神にかかっている(21節)という。つまり、その根拠は神にあるとしている。神は聖なるお方であり、その神がなしたキリストの復活によって生ける望みが与えられた(3節)とあるように、地上のみならず永遠に約束された希望を握っている。

  2. キリストを信じる

    イエス・キリストを信じるという信仰、神に対する畏敬を希望の源とするとき、その人の人生は希望に満ち溢れたものとなり、喜びと感謝が心に迫って来る。神はすべての人に希望を求める思いを与えている。その根拠をどこに置くかが問われている。本物の希望を求めよう。

結論:目の前の小さな希望、遥か彼方にある大きな希望。誰もが抱く希望の根拠をどこに置くかによって、その希望の先にある大きな喜び、感謝にたどり着くか否かに分かれる。キリストによる希望は最終的には終末的な希望とつながっていくが、将来的なことに限らず、この地上においてもすでにこの希望によって私たちの日々の生活、人生がより豊かにされ、確かな根拠をもって希望を見据えて喜び、感謝して生きることができるようにされている。将来の希望が見出せない時代にあって、私たちは本当の希望をいただいている。確かな根拠をもって希望をはっきりと見出すことができている。この希望の光は、決して消えることなく、失われることがない。それが聖書の教えであり、神を源とした希望の確かさである。


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by ontheway-chapel | 2018-02-06 16:59 | Comments(0)