1月21日「落ち穂拾いの恵み」ルツ記2:1~13
本論:Ⅰ・「落ち穂拾いに行ったルツ」
律法に支えられたルツ
当時イスラエルの律法においては貧しい立場に置かれている人(やもめや在留異国人など)に対して、施しを与えるよう奨められていた。神の目的はすべての人の幸せであり、神がすべての人を愛されたように、私たちにもすべての隣人を愛するよう願っておられる。
ナオミに仕えたルツ
ルツが働いた動機の一つには、自分の生活を守ることと同時にナオミの生活を守るためでもあった。ルツはあなたの神は私の神というほどに主を真摯に愛し、同時に自分の隣人であるナオミをも真摯に愛した。ルツの生き方は神(縦)と人(横)の関係においてお手本となる。
Ⅱ・「一生懸命働いたルツ」
重労働に励んだルツ
落ち穂拾いの働きは、身分の低い人たちがする仕事であり、大変な重労働であった。身も心もくじけてしまいそうな働き。しかし、ルツは自ら出て行き、休みもせずに一生懸命働いた。私たちも本意ではない働きに召された時、このルツのような姿勢が求められていく。
ひたすらに生きる
私たちに与えられている働きは何だろうか?その動機は自分がしたいことなのか、神様から与えられているものなのか確認したい。いやだと思う働きでも、それが主から与えられているものであるならばそこに従いたい。その先には思いがけないチャンスが広がっている。
Ⅲ・「主の恵みをいただいたルツ」
ボアズとの出会い
ルツとボアズとの出会いは、偶然行った先の畑の持ち主という関係ではなかった。主が与えてくださった祝福であった。ボアズは律法に定められている以上の行為をもってルツをもてなした。ルツが神様と共にいることを願ったとき、神様は喜びをもってルツを祝福した。
どうしてこんなに親切に
ルツはボアズにこのような自分に対する過剰なほどの施しに対して戸惑いと感謝の意を示した。神様は求める者には惜しむことのない恵みを与えて下さる。真摯に人に尽くし、真摯に働き、真摯に主を求めたルツに神は最高の(後のイエスにまでつながる)恵みを与えた。
結論:ルツの落ち穂拾いの話は絵画などでも有名である。しかし、その背後にある素晴らしい神様の恵みについては、見落とされてしまいがちである。落ち穂拾いができる環境を与えたのも主ご自身であり、ボアズとの出会いを演出されたのも主ご自身である。そして惜しみない恵みを注がれたのも主ご自身である。そこにルツの真摯な姿勢が加わる時、あまりにも美しい世界が広がっていく。私たちにも同じチャンス、恵みが備えられている。真摯に主を待ち望む者とさせていただこうではないか。