聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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3月4日「和解の大切さ」マタイの福音書5:21~26

本論:Ⅰ・「新しい基準」

  1. モーセ律法の基準

    モーセの時代に与えられた十戒の中に「殺してはならない」とある。これは当然さばきの対象となることは誰もが理解できることである。なぜならば目に見える行為であるから。しかしこれは、人の目だけを意識したなかでそれがさばきの対象であるかという基準ともいえる。

  2. イエス様の言われた基準

    しかし、イエス様がもたらした新しい基準は腹を立てるという人間の内面にまでご存知である神様の視点、心の部分にまで及んでいる。律法は外に現れる罪のみではなく、神の前において心、態度、感情もその対象となっていくという全く新しい基準が示された。

Ⅱ・「人と人との和解」

  1. 知らぬ間の罪もある

    当時、ユダヤ人たちがささげもの一生懸命にささげた理由の一つに、自分の知らないところで犯してしまったかもしれない罪があるならば、このささげものを持って赦しをいただく、和解をいただくというものがあった。罪、神に対して、意識の高さがあるからこその行為。

  2. 思い出したが和解のチャンス

    イエス様はささげものをささげている最中にでも、誰かにしてしまった過ちを思い出したならば、和解を何よりも最優先にしなさいと教えた。神と人との和解の前に、まず張本人との和解を大切にすることが奨められている。私たちは和解すべき人がいるだろうか?

Ⅲ・「神と人との和解」

  1. 神は待っていてくださる

    神と人との和解について、神はいつでも私たちと和解したいと願っておられる。それも表面的な和解ではなく、真実の悔い改めを経ての和解である。たとえどのような罪を犯してしまったとしても真実に悔い改めるならば、神は和解してくださる。神だけがさばき主だから。

  2. 和解なしに希望はない

    神との和解がなされないならば、人は永遠に真実の希望や平安を得ることはできない。なぜならば、神との和解がなされない先には、究極のさばきがあるから。神はすべての人と和解をしたいと願っておられる。神に赦されたならば、これ以上の安心、喜びはない。

結論:イエス様は新しい基準を示すことを通して、真実の神との和解の必要性を教えてくださった。そして、そのために自らが十字架にかかって死んでくださった。この十字架を通らなければ、真実の和解は成立しない。イエス様の血潮によって、私たちは初めて神様と和解をすることができる。そしてその過程において、人は自らの弱さを認め、罪を認め、そして悔い改めてイエス様の十字架の前に立つ。そこで罪赦されたとき、私たちは神様との和解の場へと誘われる。そして本当の平安、喜びを感じて日々の生活を幸いを感じつつ、充実して送ることができる。神との和解をしっかりと果たそうではないか。


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by ontheway-chapel | 2018-03-07 13:39 | Comments(0)