聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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3月25日「十字架にとどまったキリスト」マタイ27:33~44

本論:Ⅰ・「すべて神のご計画通りに」

  1. くじを引いて分けた

    十字架刑に付き添ったローマの兵士は期せずして詩篇2218に記されている通り、イエスの着物を取り去りくじを引いて分けた。これはイエスの十字架が人々の思惑通りに行われているのではなく、神の遠大なるご計画の内に成されていることをはっきりと示している。

  2. あざけり罵られた

    イエスは道行く一般の人々、祭司長ら宗教指導者たち、そして囚人に罵られ、嘲りを受けた。これもまた詩篇2278に記されている通りであった。人々は自らの思い通りに事が進み、勝利を喜んだかもしれないが、本当の勝利は目の前で嘲られ、罵られたイエスのものだった。

     

Ⅱ・「神にのみ従ったキリスト」

  1. 十字架から降りなかった

    もしお前が神の子ならば、自分で自分を救ってみろ、十字架から降りてこいと人々はイエスに言った。イエスはそれをすることも可能であった。しかし、あえて簡単な道ではなく、苦しく辛い道を選択された。十字架から降りていたら私たちはイエスを信じられただろうか?

  2. 神に完全に見捨てられた

    神のご計画は、イエスを十字架から不思議な、偉大な力を持って降りることを人々に見せることによってその栄光を現そうとはしなかった。むしろ最後まで神のご計画通りに十字架にとどまり、完全に死ぬことが神のご計画であった。人々ではなく、神のご計画が優先される。

Ⅲ・「キリストの視点に生きる」

  1. サタンに打ち勝つ人生

    私たちは神はどうして御子を見捨てて、十字架上で死に渡されたのか?もっと別の方法で栄光を現すことはできなかったか?と思ってしまいがち。しかしそれはまさにあの荒野での誘惑そのものである。サタンは巧みに私たちを誘導する。それは勝利から遠ざける働きである。

  2. 人の力ではなく愛を見よう

    ユダヤ人たちが期待したことは、イエスが不思議な力を持って、また神の軍勢を用いて十字架から降りることであったかもしれない。人々はイエスの力を見ようとした。しかし、イエスは十字架上から人々に犠牲の愛を通して神の救いのご計画見せた。私たちは何を見るか?

結論:もし、イエス様が十字架から人々の求めるように降りることができたら、人々は果たして本当にイエスを救い主として信じるだろうか?少なくとも現代に生きる私たちは十字架から降りたキリストではなく、十字架にとどまったキリストを信じる。目先の勝利ではなく、永遠の勝利に生きたイエス様の歩みこそ、私たちは真実を見出すことができる。私たちにとっての十字架はイエスの力ではなく、無力さのように見える背後にあって、神の愛を示し、そのご計画に完全に従いきった真の勝利の象徴である。この朝、もう一度私たちの救いのために成就されたキリストの十字架を思い、感謝をもって応答していこうではないか。


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by ontheway-chapel | 2018-03-29 11:02 | Comments(0)