聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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4月15日「信仰によって生きる」ハバクク書2:1~4

本論:Ⅰ・「ハバククの疑問」

  1. ハバククという人物

    預言者ハバククという以外は詳細は記されていない。ハバククとは「からみつく」「抱きつく」と訳すこともできる。ハバククはユダの世界にはびこる悪とそれを見過ごす神に抗議し(からむ)とことん神と向き合い(抱きつく)、信仰をもって従って生きることを求めた。

  2. 悪が支配しているように見える世界

    実際にこの時代、南ユダ王国は神の律法を重んじる姿は薄れ、宗教的道徳は崩壊に向かって堕落していった。国内では対立による内紛、国外からは厳しい干渉を受け、神の民イスラエルの栄光はどこに行ったのかという有様。悪だけがのさばり、悪だけが繁栄している世界。

Ⅱ・「神の応答」

  1. カルデヤ人を用いられる神

    ハバククのどうしてこのような悪を神は見過ごしているのか?という問いに対して、神は、決してこの状況を見過ごすのではなくこの不義と王望に満ちたユダに対し、カルデヤ人を審判の器として用いて、バビロンによるユダへのさばきが行われていくことを明らかにされた。

  2. 神の応答に対するハバククの訴え

    この神の答えに対するハバククは、そのバビロンもまた不義な器ではないか、と抗議する。正しくない者が、同じく正しくない者の審判の器として用いられることは果たして正しいことなのかと訴える。どうして神はそのようなことを許されるのか。いつの時代にも同じ疑問が私たちを覆っているように思える。

Ⅲ・「信仰をもって従う」

  1. 義人は信仰によって生きる

    いつの時代においても、悪がのさばり正しく謙虚に生きる者が損をしているように見えることがある。そうした曲がった時代だからこそ、揺るがない信仰をもって生きることだけが、義人が生きうる唯一の道であると神は語る。信仰に生きることこそが私たちを守る手段。

  2. アーメン(その通り)と生きる

    ヘブル語で信仰とはアーメン(その通り)と同じ言葉として使われる。つまり、真実、誠実であることこそが、神の御前において正しいと認められる。神中心の信仰。人間の側に救いの根拠は見出せない。神中心に生きるとき、その人の人生は喜びと栄光と勝利を得る。

結論:ハバククの生きた時代も、現代も同じ問題が私たちを包み込む。なぜ神はこのような時代、腐敗した状態をお許しになっているのか?いつになったら彼らはさばかれるのか?むしろ彼らの方が栄えているように見える。確かにこの世に焦点を当てて、この世を基準に見たらそうした矛盾とぶつかる。しかし、神に焦点を当てて、神を基準に物事を見ていくとき、私たちの人生の本当の正解が見えてくる。何が本当の喜びか、何が本当の幸せか。信仰によって生きる者とされた時、その答えは自然と見えてくるのではないだろうか。


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by ontheway-chapel | 2018-04-17 09:30 | Comments(0)