7月22日「思いやりに生きる」使徒の働き15:36~41
本論:Ⅰ・「伝道旅行へ」
A.再びバルナバと共に
2年前に行われたエルサレム会議の決定事項を伝えながらの第1回目の伝道旅行はパウロとバ
ルナバにとってもすばらしい旅であった。決して楽なものではなかったが、各地に新しい信徒、
教会を生み出すことができたという、大いなる祝福を見ることができた素晴らしい旅であった。
B.小さな教会を思いやる
今回の旅の一つの目的は、先に主のことばを伝えたすべての町々を尋ねてどうしているかを確
認するものであった。それは埋まれたばかりの教会が、その後どのように成長しているか、間
違った方向に進んでいないか?小さな教会を思いやる気持ちから出たものであった。
Ⅱ・「マルコを思いやる」
A.パウロの主張
共に伝道旅行へと話し合ったパウロとバルナバがマルコの存在をめぐって意見が対立した。第
1回伝道旅行の際に、マルコも同行したが途中で宣教の働きから離れて行った事に対して、不
信感を持ち、宣教の働きに足手まといとなるとマルコは連れていくべきではないと主張した。
B.バルナバの主張
一方バルナバはマルコとはいとこの関係にもあり、マルコのことはパウロよりもよく知ってい
た。かつて敵であったパウロをも受け入れた寛容なバルナバから見たら、マルコの過去の失敗
は許されるものであった。切り捨てるよりもむしろ回復のチャンスを与えたいと願った。
Ⅲ・「相手を思いやる」
A.人間的視点で見る
結果、パウロはシラスと、バルナバはマルコとそれぞれの伝道旅行へと旅立った。それぞれに
気ごころの合う仲間を選択し、気持ちよく旅に出たいと思うことはよくある。確かに関係のよ
くない仲間との旅をするよりも、結果も良好になっていくように思える。
B.神様の視点で見る
しかし、この結果は人間的な視点ではなく神の視点で見ていくとき、人間の思いではなくそれ
ぞれにふさわしく働かれる聖霊に促されていくことが神の願い、ご計画であったという視点に
立ちたい。神は相手を思いやる人の思いをも用いられ、すべてを最善へと導きてくださる。
結論:人が人を思いやることはすばらしい。しかし人間のすることには限界がある。うまくいっていても、ほんのちょっとの視点の違いや、自分の精神状態などで相手を思いやることができないという時もある。大切なことは、自分の感情や価値観だけを判断材料とするのではなく、聖霊の導きにこそ、自分の判断材料を求めていくことではないだろうか。そうするとき、人知を超えた主の導きの中で、神の愛をもって、イエスの真心をもって相手を思いやることが可能となっていくのではないだろうか。