10月21日「ダニエルの祈り」ダニエル書9:1~19
本論:Ⅰ・「罪を認める祈り」
A.私の主と呼べる関係
クリスチャンは神に向かって私たちの父なる神様、主と呼べる神に向かって祈ることができ
る。それは神が愛と憐みに富み、寛容な心で私たちとの関係を持ってくださるから。ごく親
しい親密な関係でい続けてくださるゆえに、身近に神を感じて祈ることができる。
B.とりなしの祈り
ダニエルは「私たち」と自分を含めたイスラエル民族の罪を告白している。これはイスラエ
ル民族のためのとりなしの祈りともいえる。自分は正しいから、ではなく、最も正しく歩ん
でいる者でさえ、誰よりも罪を認めて神の許しを求めて祈っている姿に教えられる。
Ⅱ・「神の憐みを求める祈り」
A.憐れみと赦しは神のもの
ダニエルは真実に罪を認めて、悔い改めつつも、不信の罪による神のさばきの正当性を認め
た。すべての主権が神にあることをダニエルは知っていた。そのなかで現状からの救いを必
死に祈りつつ、罪の赦しを神の憐みにすがるしかないことを認めて神に求めた。
B.神の時を見定める
ダニエルはすべて神の支配の内に行われていることを確信していた。だから、イスラエルの
罪に対しても、わざわいを下されたのがこの時であると受け止めることができた。自分本位
で罪の赦しを請うのではなく、さばきも赦しも神の時にあることを私たちも受け入れたい。
Ⅲ・「神に訴える祈り」
A.必死なる祈り
かつてイスラエルはエジプトから救い出されたように、今度も神の愛と憐みの中で私たちを
救い出してくださいと懇願した。今やイスラエルは崩壊寸前であった。今こそ、主ご自身の
ために御顔の光を輝かせてください、とダニエルは神の祝福と顧みを必死に祈った。
B.心からの訴え
ダニエルはこの祈りの目的が自分たちの正しさによって自分たちの祈りを聞いてください
と訴えているのではなく、自分たちはと覆い隠すことのできないほどの罪を犯している事実
を認め、ただあなたの大いなるあわれみによってのみ、赦しを訴えている。
結論:私たちも日々祈ることができる。その祈りをそれぞれに振り返ってみよう。自分の願うことばかり訴える一方通行の祈りになってはいないだろうか?神は私たちの訴えを聞いてくださるお方であると同時に、語りかけてくださる神でもあり、時にかなって実行してくださる神でもある。神からの語りかけをしっかり聞く祈りをしようではないか。その真実のやり取りの中で、自らの罪を認め、憐れみと赦しを慕い求め、切なる訴えをしていくダニエルのような祈りをしていきたい。神は私たちの祈りを聞いてくださり、語りかけてくださる。私たちも聞き、その導きを信じ、委ねていこう。