聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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11月4日「イエスが驚かれた不信仰」マルコ6:1~6

本論:Ⅰ・「郷里から驚かれたイエス様」

     A.会堂で教えを聞いた

      イエス様は郷里に戻り、そこで安息日に会堂で教え始めた。イエス様の教えを聞いた人たちは

驚いたという。おそらくこれまでに聞いたことのないような、深い知識と洞察に満ちた教えを

語られたことだろう。人々はその教えを確かに聞き、驚いたが、それ以上ではなかった。

B.力あるわざを見た

      郷里の人たちは、イエス様がなさったみわざを直接見た。少数の病人を癒したと書かれている

が、何ひとつ力あるわざを行わなかったとも書かれている。みわざを見たり、教えを直接聞い

たりしても、人々の心は閉ざされたままであった。何が心を閉ざしていたのか?

     

Ⅱ・「郷里で尊敬されないイエス様」

A.大工ではないか

   人々の心を閉ざしていたのは、イエスは大工であるという視点であった。郷里の人たちにとっ

てイエスは独りの人であり、いち労働者でしかなかった。彼らの目は本当の意味で開かれては

いなかった。外見だけをみて、本質を見ることなしに物事を判断してしまわないようにしたい。

B.マリヤの子ではないか

   イエスは30歳になるまで郷里で生活をし、家族を支える働きをしていた。郷里の人たちにと

ってイエスはそれだけ身近な存在でもあり、それだけの存在であった。近すぎて、その素晴ら

しさを見つけることができなかった。家族伝道の難しさをここからも教えられる。

Ⅲ・「不信仰を打破する」

A.不信仰の現実

   イエスの家族はイエスが身近すぎて、先入観もあってイエス様の本当の姿を見ることができな

かった。目の前にイエス様がいても、そこで何を見聞きしても心が閉ざされていては信じ受け

入れることができない。癒しを拒む者に医者は何もできない。これが不信仰である。

B.使命に生きる

   決して諦める必要はない。イエスは郷里から離れて救われる魂を求めに出て行った。それは神

の使命に生きる姿である。私たちもその時できることに一生懸命でいたい。その先に神の時に

かなって美しい働きがある。諦めず、イエスの働きを助ける歩みをしていこうではないか。

結論:私たちはイエス・キリストの働きに参画し助けることができる一方で、その働きを拒否し妨げることもできるという、大きな責任を負っている。人々の心の扉を開き、不信仰を打破し、一人でも多くの人をイエス様の元へ届けたい。最も身近な家族は、それゆえに難しさをおぼえるかもしれない。イエス様でさえ苦労し、驚かれた。しかし、イエスの弟はやがて救われ素晴らしい働きをした。諦めず、神様から託された使命に生きるお互いでありたい。神は時にかなって、ふさわしい方法で私たちの祈りを聞かれ、家族を救いへと導いて下さることに期待していこう。


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by ontheway-chapel | 2018-11-14 16:29 | Comments(0)