1月20日「災いの目的と意義」出エジプト記7:1~7
本論:Ⅰ・「心をかたくなにする」
A.神がパロに働きかけた
パロの心を神が頑なにさせた。その目的はしるしと不思議をエジプトの地で行うためでもあっ
た。神のご計画ではイスラエルの民をエジプトから救出することであったが、その実現のため
に実に多くの人や物(それは私たちの理解を超えている事柄)を用いて主の栄光を現している。
B.かたくなな心の先にあるもの
パロの心が頑なにされたため、神のしるしと不思議はさばきを伴ってなされた。神は災いを下
すことでイスラエルの民を救出されようとした。多くの教訓がそこには隠されている。私たち
も心頑なにするとき、その先にはさばきが待っているのかもしれない。
Ⅱ・「主であることを知る」
A.パロの心を砕く
災いの目的と意義が語られる。それはイスラエルの民の救いと何よりも主が誰であるかを知る
ためであった。心頑なな者とは神を神と認めない。神を受け入れることを拒んでいる状態の人
である。自分の殻に閉じこもらず、思い切って主のもとへ飛び込んでいこうではないか。
B.イスラエルの民も見る
神がエジプトに下すさばき、大いなる御手をイスラエルの民も目撃することになる。つまり、
イスラエルの民も誰が主であるかを知る必要があった。彼らもまた主の大いなるみわざを見な
がらも、主を疑い、目に見える事柄に救いを見出そうとしてしまうことになる。
Ⅲ・「モーセが用いられた意義」
A.モーセは80歳、アロンは83歳であった
神の救いのご計画が示され、いよいよ実行されていくときに用いられたモーセは80歳であっ
たという。さらにこの先40年の荒野での生活が待っている。神はこうした人選をなさる方。
80歳でも立派に神に用いられる。逆に10代でも用いられる。いつでも備えていよう。
B.常識にとらわれない生き方を
人間的に見たら80歳で新しい事をするのは、難しいと感じるだろう。先の事、健康のこと、
色々なことを考えたら神のご計画に参加することは難しいと判断しがち。しかし、神がそのよ
うに用いられるならば、そこに従いたい。自分の常識ではなく神のご計画の方が確かである。
結論:目の前に広がる災い。私たちの目には悲惨であり、むごたらしい、目をそむけたくなるかもしれない。しかしそこに神の目的、意義が隠されているならば、私たちはしっかりと目を留めていきたい。そして神のご計画を見極め、従っていきたいと思う。そのためには自分の常識にとらわれていたら見えるものも見えなくなる。心頑なにしているならば、従うこともできない。信仰をもって、心開いて、神の目的にこそ目を留めていきたい。そうするとき、私たちは主のみわざを目撃し、主をより深く知ることができ、幸いなる生涯を送ることができるようにされていく。