5月5日「ハンナの祈り」Ⅰサムエル記1:9~18
本論:Ⅰ・「ハンナの悩み」
A.子どもが与えられない
ハンナの夫には二人の妻があり、一人がハンナでもう一人はエルカナでエルカナには子どもが
与えられていたが、ハンナには子どもがいなかった。毎年行っていた巡礼の際には一人ずつ感
謝のいけにえをささげていたので、子どもがいる、いないで立場が明確にされてしまった。
B.ペニンナのいじめ
ハンナは子が与えられないことに悩んでいたが、ペニンナはそのようなハンナの心の痛みにさ
らに塩を塗りつけるような、わざと苛立たせるような仕打ちをしていたようである。ペニンナ
は夫の愛がハンナに向けられていることを快く思わなかったのか。嫉妬、憎しみの怖さを見る。
Ⅱ・「ハンナの祈り」
A.もし~ならという祈り
ハンナの祈り、というと2節以降が有名であるが、ここでのハンナの祈りは「もし男の子を授
けてくれるなら、私は~します」という祈り。私もかつて「もし私の願いを聞いてくれるな
ら信仰を持ちます」という約束を祈りの中でした。神を試す?神体験→献身となることもある。
B.神に期待する
神を試す、ということに疑問を感じるかもしれない。被造物が創造者に向けてとる態度ではな
い、と。しかし、その祈りの背後にある真剣な思いを神は知っておられる。その覚悟も知って
いる。本気で神に期待していると知っている。神はその祈りに確かに応答してくださる。
Ⅲ・「エリの応答」
A.エリの勘違い
ハンナの必死の祈りを見ていたエリはハンナが酔っていると勘違いした。これは当時の巡礼祭
が堕落していたこともあったかもしれないが、エリの性格的な欠陥を現していたかもしれない。
私たちも人の悩みや痛みに対して、寄り添えない、突き放してしまうことがあるかもしれない。
B.励ましたエリ
エリは自分の勘違いであるということがハンナの力強い言葉を通して示された。それに対して、
エリは「安心しなさい。神があなたの願いをかなえてくれるように」と励ました。私たちも様々
な課題をおぼえて祈るが、相手を励まし、慰める共感の祈りでありたいと願う。
結論:ハンナの必死の祈りは、様々な切実な悩みと苦しみであった。本当に辛い時、何とかここから抜け出したいと願う。そのような時、人は神がもし本当にこの祈りを聞いてくれるならば、私は、と誓いを立てるかもしれない。神をためるような祈りは、神に失礼かもしれないと感じるかもしれない。しかし、本気の祈りを神は聞いておられる。そして愛なる神はその祈りに応えてくださる。この必死の祈りに対して、エルカナのようにさらにその人を追いつめていくのか、それとも共感し励ましていくのか。イエス様がそうであったように、私たちもまた、人の痛みや悩みに寄り添い、励ましていきたい。