5月26日「敗北から教えらること」Ⅰサムエル4:5~18
本論:
Ⅰ・「勝利への勘違い」
A.契約の箱
イスラエルの民には神がモーセに与えられた十戒が納められていた。そしてこの箱が聖なるも
のであるには違いないが、箱そのものに力の源があると理解してしまった。それで契約の箱を
幸運のお守りのように捉えてしまうようになり、神ご自身を見失ってしまった。
B.霊的勝利に必要なもの
私たちも過去の祝福や偉大なるみわざにだけ思いを寄せて、そこにすがって生きようとしてし
まうことがある。イスラエルの民はかつての出エジプトの勝利にすがり、神は守ってくださる
という盲目的信仰に生き、今の自分の姿勢を問わなかった。日々新たな関係を大切にしたい。
Ⅱ・「預言の成就」
A.エリの息子たち
エリの息子たちは神の律法に背いて、至聖所に入って契約の箱を取り出してしまった。エリの
息子たちには相変わらず、神への恐れがなく、神の前に謙虚ではなく、また忠実ではなかった。
エリから神を侮る姿勢を語られても罪を認めることをせず、生き方を正そうとしなかった。
B.息子たちの死
エリの二人の息子たちはペリシテとの戦いの中で戦死してしまった。しかしこれは、すでに神
が約束されていたことであった。神を侮る者の最後の姿から教えられることがある。神は必ず
約束を実行されるお方である。それは祝福の約束であり、さばきの約束でもある。
Ⅲ・「失敗から教えられること」
A.偶像礼拝
契約の箱は民にとって勝利の象徴であり神の象徴であった。しかしそれ自体は神のご臨在と御
力を保証するものではない。しかし彼らは箱そのものを信頼しすがった。それは一種偶像礼拝
のようなものであった。エリはこのことを告げられて同じ反応をして死んでしまった。
B.見捨てない神
神は確かに約束を成就するお方であり、厳しくさばかれるお方であるが、同時に愛する民を決
して見捨てないお方でもある。神はこのあと、サムエルを用いて堕落したイスラエルの民を再
建していく。私たちも神との関係を正しくもちながら、祝福の道を歩もうではないか。
結論:
イスラエルの敗北は祭司の堕落、そして民の神への姿勢が問われている。そこから何が教えられるか。神は最初に警告を与えて下さった。神は私たちに立ち返るチャンスを与えて下さる。しかし、そこを無視するとき、神はその警告を実行される。しかし、神に立ち返るならば、神と共に歩もうと願い、歩むならば、神はその民を祝福してくださる。神は決してそのような民を見捨てることはなさらない。問われているのは私たちの姿勢である。もう一度、神様との関係を見つめなおし、正しく歩む者とさせていただこう。