7月14日「誘惑に勝つ」ルカ4:1~13
本論:Ⅰ・「思いがけない誘惑」
A.アダムとエバへの誘惑
悪魔の誘惑は実に巧妙である。弱さに働くこともあれば、強さに働くこともある。アダムとエ
バは悪魔の誘惑に見事に引っかかり、罪を犯してしまった。私たちも誘惑に乗っかってしまう
ことがある。アダムは神から隠れてごまかそうとした。私たちはそのようであってはいけない。
罪を認めて悔い改める姿勢を忘れてはいけない。
B.イエスさまへの誘惑
悪魔はイエスをも誘惑した。なぜイエスがこのような誘惑を受けなければならなかったのか。
誘惑はすべての人間が経験するものである。イエスが完全な人間として私たちの受ける誘惑を
理解するためである。また、この罪の誘惑に完全に勝利する必要があった。このイエスの勝利
によって私たちも罪の支配から解放された。
Ⅱ・「誘惑に勝つために」
A.私たちは?
私たちは誘惑に対して自分の努力や忍耐力で立ち向かおうとするとき、そこには限界がある。
アダムとエバが誘惑に負けたように、私たちも負けてしまうであろう。一方で誘惑を受けるこ
と自体が問題でないともいえる。試みられているのは誘惑に対する私たちの行動に対する動機
である。神様の御旨に従う動機なのか、自分の思いを満たすことが動機になっているのか?
B.イエス様は?
イエスは悪魔の誘惑に対して、神のみことばをもって抵抗した。しかしサタンもまた神のみこ
とばを知っており、みことばを持って巧妙に誘惑してくるかもしれない。神のみことばをより
有効に用いるためには、神への絶対的な信頼が必要である。そのためにイエスは日々神に祈り、
すべての誘惑を退けた。イエスは最後まで神のご計画である十字架に向かって忠実であった。
結論:私たちは必ず誘惑を受ける。これは避けて通ることはできない。それだけに常に備えていなければならない。サタンに打ち勝つために、剣であるみことばを携えておく必要がある。サタンを攻撃できる唯一の武具である。イエス様はそれによってサタンを退けた。しかし、イエス様はサタンに勝利し退けたが、サタンが完全に滅んだわけではない。現代もなお私たちに迫って来る。イエス様を模範として、強くありたいと思う。そのために、神のみことばに信頼し、神だけを礼拝し、信頼して従っていこうではないか。サタンは実に巧妙に迫って来る。しかし、私たちにはイエス様がいつも共におられ、守ってくださる。己の弱さ、限界を認め、イエス様に助けを求め、共に歩む者とさせていただこうではないか。