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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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11月3日「罪を認める勇気」Ⅱサムエル12:1~15

本論:Ⅰ・「ダビデとナタン」

     A.ナタンの忠告

      ナタンはダビデの犯した罪を直接語るのではなく、ある譬えをもって知らせた。そしてダビデ

自身がその罪に対して示した感情によって、自らの犯した罪を悟らせることをした。ナタンは

神に忠実に従いダビデに話をした。主にある友人の大切さを教えられるし、求めていきたい。

B.ダビデの反応

      ダビデは自らの犯した罪を悟った時「私は主に対して罪を犯した」と認めることができた。こ

れはとても勇気のいること。主に対して謙遜でなければできないこと。人の目はごまかせても

主の目はごまかせない。主の目をごまかせると思うような傲慢さが私たちにないだろうか?

   Ⅱ・「罪の結果」

A.神の愛による赦し

      ダビデの真実な悔い改めに対して神はその罪を赦された。ダビデは自分の罪を死刑だと言った

が、神はダビデを赦した。私たちも本来ならば永遠の滅びにまっしぐらな存在であったかもし

れない。しかし、神の大いなる愛、イエスの十字架の贖いによって罪赦された者とされた。

B.神の厳しいさばき

      神はダビデの罪を赦されたが、しかしバテ・シェバとの間に生まれた子が打たれた。自分の起

こした出来事が取り返しのつかない結果を招くことがあることを私たちはよくよく覚えてい

たい。ダビデは神の愛と厳しいさばきを体験した。ダビデはこの事実を喜んで受け入れた。

結論:神の愛の結果として、イエス・キリストが私たちの罪の一切を負ってくださり、十字架にかかってくださった。その御子の十字架とその血潮を信じ受け入れることができた時、私たちの罪は完全に赦される。しかし、だからと言って罪を平気で犯して後からごめんなさいをすればいいと安易に考えてはいけない。神は罪を決して放置はしない厳しいお方である。だからこそ、神はあらゆる方法をもって私たちが犯している罪について教えてくださる。それは友人かもしれない。真実を語ってくれる友人を求めたい。また、罪の指摘を受けた時、私たちはつい逃げたくなるかもしれない。ごまかしたいという誘惑にかられるかもしれない。人の目はごまかせても、神の目はごまかせない。だからこそ、神に対して真実の悔い改めが必要である。その時、神は大いなる愛をもって、私たちを赦してくださる。この恵みをダビデは詩篇で語り、喜んだ。罪を認めた先に、大いなる愛と祝福が待っている。勇気をもって一歩踏み出そう。その先に神の愛を再確認し、喜びの人生が広がっている。


by ontheway-chapel | 2019-11-14 17:47 | Comments(0)