聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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本論:Ⅰ・「福音の奥義」
A. 賢く知恵のある者たち
イエスは知恵を否定しているわけではない。知的な誇りを非難した。福音を阻止するのは誇りであるという。律法学者やパリサイ人たちは知的には優れていた。しかし、彼らはそれを誇ってしまったので目がくらみ、イエスがメシアであることを認めることができなかった。
B. 幼子たち
一方で単純で心開いた者たちに福音が掲示されることをイエスは示された。そこにはプライドや意地はなく、全面的にイエスに従うという姿勢が求められているという。イエスの言った「ほめたたえる」とは全面的に同意するという意味。幼子は全面的に親を信頼する。

Ⅱ・「イエスの招き」
A. 重荷を負っている人たちへ
当時のユダヤ社会において、律法主義的な戒律が重荷であると感じている人が多くいた。それは彼らを多いに苦しめていた。また、自らの罪という重荷に苦しんでいる人たちもいた。自分ではどうすることもできない重荷を解決してくれる場所があるとイエスは招いた。
B. 疲れ果てている人たちへ
イエスはさらにこうした重荷を負って、人生に疲れ果ててしまっている人、悩み多きなかで、どうすることもできずに絶望するしかないと思っている人たちに対して、自分のところに来るならば、心身ともに解放され、ゆっくりと休み癒すことができると招いてくださった。

Ⅲ・「イエスのくびき」
A. イエスのくびきとは
くびきとは耕作するときに牛や馬の首にかける道具。きままに歩むときには邪魔となるが、主人の命令に従うには必要なものであった。イエスのくびきは私たちの負担とはならない。なぜならばイエス自身が共に負ってくださり、私たちにとっては祝福、勝利につながるから。
B. イエスに学ぶ
イエスに学ぶとは知的に何かを学ぶというよりは、イエスに見習うという意味。現代において疲れ悩んでいる人たちが、イエスに目を向けるとき、それらを解決する唯一の道を知ることができる。イエスの歩みを学び求めるとき、私たちの重荷はすべて解放されるのだ。

結論:この世には私たちを煩わせる多くの悩み、痛み、苦しみ、重荷がある。そしてそれらと向き合いながら、しかしそこから逃げることもできず、もがき疲れてしまう。一時しのぎを繰り返しながらかろうじて保つ生活は終わりがなく、辛い。しかし、イエスの招きに従うとき、イエスを見てイエスの生涯を求めるとき、私たちは休むことができ、疲れが癒される。そして抱えている重荷すら解き放たれる。なぜならばイエスが私たちのくびきを追ってくださり、絶望ではなく希望と喜びの道へと誘ってくださるから。




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by ontheway-chapel | 2017-03-19 01:17 | Comments(0)