聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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本論:Ⅰ・「キリストがもたらした約束」

  1. いのちと敬虔を与える

    イエス・キリストの素晴らしさをペテロは大胆に語る。私たちはこの世において大切な人を守れない、苦しんでいる人を助けられないなど無力感を感じることがある。しかし、神の偉大なる力によってキリストは勝利によっていのちを、真実さによって敬虔を与えてくださる。

  2. 神の性質に与る者とされる

    私たちは本来、神によって造られた尊い存在である。しかし、罪が入ってきたことによって神ではなく人が中心となってしまった。本来は神の性質に与るものが与えられている。それが正しくいかされるためにはただイエス・キリストによって可能となり、真実となっていく。

Ⅱ・「私たちが備えるべきもの」

  1. 実践のために

    神が与えてくださっている栄光と徳を実践するとき、私たちは神の栄光を現すことができる。そのためにペテロはこの世にある欲のもたらす悪から離れる必要がある。私たちは常に、イエス様ならばこの時どうするだろうか?を意識したい。自分の思いを優先させるのではない。

  2. あらゆる努力をする

    キリスト者にできる最高の努力は、決して個人の力によるものではない。あくまで神との協働である。私たちの日々の生活に実践されない信仰は信仰とは言えない。神は私たちにただ委ねるだけではなく、約束を実践することを求めておられる。あらゆる努力が求められる。

Ⅲ・「増し加えられていくもの」

  1. 信仰から始まるもの

    ペテロはここで信仰から始まり徳を加えるように語る。まず信仰が大前提であり、それに徳が加えられていく。そしてそこに知識が増し加えられていく必要が語られる。これらの実践には勇気が必要かもしれない。しかし神は私たちに必要なものを惜しみなく与えてくださる。

  2. さらに加えられるもの

    さらに自制と忍耐が求められている。しかしこの自制と忍耐はその場で耐え忍ぶものではなく前進させるためのもの。そして敬虔がそこに増し加わる。これは神に対するものと人に対する両方である。そして最後に兄弟愛が必要という。その愛はキリストに基づく愛である。

結論:神様は私たちが、神の民として生きるに必要な一切を与えてくださるお方である。それも惜しむことなく、喜びをもって与えてくださる。そして、私たちはいただいたあらゆる恵みを、あらゆる努力をもって実践し、従っていきたい。しかし、その努力は自分だけの努力ではなく、神様との協働によってなされるものである。そしていただいたものをこの地上で実践できることこそが、神様が私たちに願っておられることである。神様に信頼して、また与えられた多くの恵みに感謝して、歩ませていただきましょう。それが、神様の栄光を現すことにつながり、キリストの偉大を証しすることにつながっていくのだ。


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by ontheway-chapel | 2017-07-26 15:58 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「謙遜を身につけなさい」

  1. 謙遜とは

    かつて謙遜とはギリシヤにおいては「低いもの、卑しいもの、奴隷的な心の態度」ということで、徳のある品性とは見られていなかった。キリスト教において罪人である私が神の前に自らの罪を認め、告白することに謙遜を見ることができることで、初めて徳を見出した。

  2. 神との関係において

    神はへりくだる者に恵みを与えられるという。高ぶる者とは神に敵対する者のこと。自らを神の座に置くような態度をとること。謙遜は神の前にへりくだることから始まる。神に全幅の信頼を置き、従順に生きることである。そこには神の約束が、恵みが豊かにあるのだ。

Ⅱ・「神が高めてくれる」

  1. 神に依存する

    私たちはいろいろなものに依存する。時にギャンブル、お酒やたばこ、異性など。しかしそこには限界があり、裏切りがあり、やがて朽ちていく。しかし、神にすべてを依存するとき、そこには永遠があり、決して見捨てない神の愛があり、神の栄光の勝利がある。

  2. 神が心配してくださる

    なぜいろいろなものに依存してしまうのか?それは私たちを思い悩ませる思い煩いがあるから。平安がないから。心が一つのものに向けられず、あちこちに向けられる不安定さがあるから。しかし、神に集中するとき、私たちの心配、思い煩いはすべて神がぬぐってくれる。

Ⅲ・「私たちの確信」

  1. 恵みに満ち、栄光に招かれる神

    神は私たちのあらゆる困難を知っておられ、確かに苦難を通されるが、それはあくまでしばらくの有限であり、その先に無限の永遠の栄光が約束されている。だから、それまでは信仰に堅く立ち、あらゆる悪魔、誘惑、困難に立ち向かうようにと励ましている。

  2. 神がしてくれること

    神は私たちを弱さを補って完全にしてくださる。私たちが倒れそうなとき、堅く立たせてくださるように助けてくださる。そのために私たちの内なる力を強くしてくださる。そして不動の者としてくださる。これらは神がしてくださることであるから委ねていけばいいのだ。

結論:私たちはこの地上に生きているとき、本当に様々な試練が襲ってくる。次から次へと問題が目の前に立ちはだかる。そして多くの人は自分の力でそこを切り抜けようとして、疲れ果ててしまう。現代の多くの人が疲れ果てている。しかし、キリスト者は違う。なぜならば、そうした試練、問題に対して、神ご自身が心配してくださり、力を貸してくださり、その先にある栄光の勝利を見せてくださりながら、私たちを強く用いてくださる。私たちがこの確信に立つとき、本当の平安をもって主にすべてをゆだね、前進してける。神様が心配してくださるのだから、思い煩いを捨てて、ひたすらに主の道を力強く歩もうではないか。


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by ontheway-chapel | 2017-07-19 17:31 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「市民として生きる」

  1. キリスト者の義務

    キリスト者としてこの地上に生きるとき、誰もがそれぞれの国、地域のなかで市民としての義務を負って生きている。原始教会においてもこの問題は同じで、そのなかで何に従って生きるのか、その基準がすでに築かれていた。パウロもペテロもこの問題に触れている。

  2. 主のゆえに従う

    それぞれの国地域にある様々な制度は人が作ったものであるが、それらは神によって立てられ、神の御心にかなった人間の秩序であるという。同時に法と権威は神にあるのだから、キリスト者はその制度に従え、と勧められている。イエスも世の制度の中で生きた。

Ⅱ・「自由人として生きる」

  1. 神の奴隷として

    私たちはそれぞれの地域に生かされている。しかし、そもそものいのちを与えられ、生かしてくださるお方は神である。この前提があってはじめて人は本当の自由を獲得することができる。神の奴隷とされることはキリスト者の特権であり、自由人として生きる必要なこと。

  2. 自発的な服従

    ペテロはキリスト者としてこの世の制度に従うとき、自由人であると勧めた。それは、キリスト者が神の奴隷であるという前提において、しかしそこには強制ではなく、主に仕える喜びをもって行う自発的な、積極的な服従であるという。そこにあるのは喜びである。

Ⅲ・「4つの勧め」

  1. 敬い、愛しなさい

    すべての人を敬う。言葉は簡単でもなかなか実践できないのが私たち人間の弱さである。当時のローマには6千万人もの奴隷がいたという。兄弟たちを愛する。キリストの共同体の中では当たり前かもしれない。決して簡単ではないが、本当に神を中心としたとき成し得る。

  2. 恐れ、尊びなさい

    神を恐れる。恐怖ではなく尊敬。主を恐れることは知識の初め。神との関係を正しく知ることがすべての始まりであり基準となる。同時にペテロは王を尊ぶように勧めた。当時の王はネロ?それも神に遣わされているならば、尊ぶべきであり敵をも愛するのがキリスト者。

結論:現代において、この日本において、一市民として私たちもそれぞれの地域に属している。そのなかで、どのように地域に仕えていくのか?キリスト者として生きるなかで、大きな課題となる。この世の悪ばかりを見ていたら、怖くて外にも出られなくなってしまうほど。しかし、私たちは勝利が約束されている。私たちが本当に使えるのは主のみ。すべて主のために、主の栄光のために生きる。この前提をしっかり握っているならば、私たちは自由であり、何も恐れることはない。と同時に、この世の人々を敬い、兄弟を愛し、主を恐れ、王をも尊びながら、生きていくことが求められている。それは喜びであるから。


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by ontheway-chapel | 2017-07-12 15:13 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「神の力に守られる」

  1. 私たちの日々の生活において

    私たちの日々の生活はまるでジェットコースターのように、目まぐるしく変化する。良い時もあれば、苦しみの時もある。その中で、神の憐みによって自らの歩みに光が当てられ、認罪、悔い改め、信仰告白、救いへと誘われる。それによって新しく生まれ生ける望みを得る。

  2. 終わりの時まで

    信仰の生涯とは、この世界から永遠の世界への旅路である。その生涯すべてにおいて神の保護のもとに生かされている。守られるとは軍事用語。神は私たちを勝利へと導くために、あらゆる誘惑、試練、困難と闘う私たちを最後の最後まで守り通してくださるのだ。

Ⅱ・「試練の先にある栄光」

  1. 喜びを待ち臨む

    あらゆる試練、困難と言った戦いが襲ってくるが、それを忍耐をもって乗り越えることができる。信仰によってそれらが神の御手の中にあることをおぼえ、そこに働く神の助け、慰めを通して人は金が精錬されて純金へと姿を変えて行くようにその信仰が強められていく。

  2. キリストからの称賛

    こうした生涯を歩んでいく先に何が待っているか?どうして信仰によって耐え忍ぶことができるのか?それらすべてがやがての日、イエス・キリストの再臨の時、すべてが称賛とされ、光栄と栄誉となっていくことを信仰をもって確信しているから。信仰の力による。

Ⅲ・「見えないけれども知っている」

  1. キリスト信仰

    ペテロはこの地上において、実際にイエス・キリストと共に生活をし、会話をし、直接学ぶことができた。現代を生きる私たちはこの体験をしていない。しかし、キリストを愛している。目では見たことが無いけれども、信仰の目でイエスを見、体験し、堅く信じている。

  2. 信仰の力

    ペテロはこの信仰に生きるために、心を引き締め、身を慎み、キリストの恵みをひたすら待ち望みなさい、と言った。そのためには試練とも向き合い、キリストの恵みを日々体験し、感謝と喜びに満ち溢れ、その先にある栄光に希望を見つけだし、ひたすらに前進したい。

結論:私たちは信仰を持っている。もちろんその程度の差はあり、強い人もいれば弱い人もいる。でも人と比べるものではない。その人と神様との関係においてどうであるかが大切。私たちはいつも神に守られている。だから安心できる。多くの試練の先には栄光が待ち望んでいる。だから試練と向き合い、乗り越えることができる。キリストを見たこともない私たちがキリストを信じ続けることができるのはどうしてか?信仰の力によって、キリストを味わい、キリストの声を聞き、キリストと共に生きている実感があるから。そしてその先にある栄光の勝利を見ることができているから。なんと素晴らしい信仰の力だろうか。


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by ontheway-chapel | 2017-07-04 17:05 | Comments(0)