聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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本論:Ⅰ・「勇気に満ち溢れる」

  1. 外なる人

    パウロはものすごい厳しい迫害を経験した。人間的に考えたらもうあきらめてしまう、心が折れてしまう。そのような時、私たちは絶望してしまうが、それゆえに永遠の報いを捨て去らないようにしたい。ピンチの先には必ずチャンスが待っている。

  2. 内なる人

    パウロがピンチの時、どこに拠り所を求めたのか。この世の力ではなく、私たちの内に働く聖霊からくる内なる力、強さに拠り所を求めた。目に見える現実の世界だけを見ているならば救いを見出せないかもしれないが、内に働く神への献身を持つとき、勇気に満たされる。

Ⅱ・「永遠の栄光に照らされる」

  1. 今の時の患難

    私たちの教会も今年は厳しいところを通された。目に見える現実を見るとき、どこにこの先の希望を持てばいいのかわからなくなる。自分たちでできることは喜んでしたいと思うが、そこには限界がある。しかし限界の先に神の益を発見することができる。

  2. 永遠の光によって

    苦しみを通る時、キリストの苦しみを思い起こすことができる。苦しみを通して謙虚になることができる。その先に展開に希望を求めることができる。苦しみから私たちを解放させる神の偉大なる力を証しする機会となる。そこに神の永遠の栄光を仰ぎ見ることができる。

Ⅲ・「神とともに」

  1. 見えるものではなくみえないものを

    神はどこにいるのか、神などいないと直接その目で見ないと信じないという人がいる。そういう人は見ても信じられない。なぜならばすでに神のみわざを見聞きし、体験しているから。でも見えない神のみわざを見ることができた時、神はいつも共におられると実感できる。

  2. 永遠の世界に生きる

    厳しい現実を前に神を見ることができた時、神の愛なる世界、痛みも苦しみもない世界で神と永遠に生きることを知ることができる。その神がこの世においても共にいてくださる。そこに希望をもって様々な困難を前にしても私たちは希望をもって生きることができる。

結論:神の愛は偉大である。私たちの想像をはるかに超えた素晴らしいみわざによって、日々私たちに注がれている。外の世界だけを見て、この世の現実だけを見ていると苦しみが永遠に続くように感じ、希望を見出せないかもしれない。しかし、内に働く神の愛、みわざ、聖霊の働きに思いを寄せるとき、現実は厳しくても、日々私たちの内に働いてくださる神によって私たちは勇気に満ち溢れ、前に進むことができる。そしてその先に神の永遠の恵みを存分に味わうことができる。この世の困難をも乗り越えることができる力をいただくことができる。神はこれまでも、今も、これからもずっと共にいてくださるから。


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by ontheway-chapel | 2017-12-31 16:30 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「この世は闇」

  1. 人生はむなしいのか

    人は死んだらどこに行くのか?人生の大きなテーマ、永遠のテーマかもしれない。死の先に何があるのかわからない故に人生は闇であるという。「人生は3(産・誕生)+4(死)=0(むなしい)」と教えてもらったことがある。本当にそうだろうか?

  2. だからこそ希望を探す

    むなしいままで、ただ闇に向かって生きていくだけの人生から脱却したいと願う。どこかに希望はないか、闇ではなく光を求めてさまよっている。しかし聖書は「人生は3+4=∞(永遠)」であると教えてくれる。その+は十字架と読む。そこに唯一の希望がある。

Ⅱ・「闇に光が届けられた」

  1. 希望の光

    人々は闇から逃れるために、虚しさから脱却するために、光を求める。しかし世には偽りの光がたくさんある。しかし不完全な光は闇に打ち勝つことはできない。むしろ人々を惑わし、混乱へ追いやる。そのような世界に真の光が、本当の希望の光がすべての人に届けられた。

  2. 闇を追放する光

    イエス様の到来によって、絶望という闇が追放された。むなしいだけの人生から勝利の人生が与えられた。死という闇が追放された。そして、いつも共にいてくださる光によって私たちに生きる力、喜びが与えられ、神の子どもとされる特権が与えられた。何たる恵み!

Ⅲ・「光によって与えられたもの」

  1. 恵みの上にある恵み

    イエス・キリストを知れば知るほど、愛せば愛するほどに、私たちはよりキリストのすばらしさを味わい、その人生がさらに豊かにされる。それはどこまで行っても尽きることがない。

    そこにはむなしさも、絶望もない。これ以上ない最高の恵みがこの光によってもたらされた。

  2. 最高のプレゼント

    イエス様のご降誕をお祝いするクリスマス。なぜか、私たちはプレゼントをもらう。しかし本当のプレゼントはイエス様そのものである。この最高のプレゼントをまだ受け取っていない人がたくさんいる。どんなプレゼントに勝るイエス様をしっかりといただこう。

結論:クリスマスプレゼント、今までいろいろなものをもらってきた。しかし、それらはいつか無くなってしまう。人生においてあらゆる物事も同様にいつか無くなってしまう。私たちの命も。だから多くの人は死が恐ろしく、不安になる。死んだらすべてが無くなるならば何とむなしく、希望も無くなる。しかし、そのような闇が支配するかのようなこの世に光が与えられた。イエス様が来られたことで、すべての人がその光に照らされた。すべての人に希望を、生きる力を、最高の人生を、そして永遠のいのちがプレゼントとして差し出された。このプレゼント、絶対に手にしたい。素晴らしいクリスマスのプレゼントはあなたのために備えられている。


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by ontheway-chapel | 2017-12-25 12:36 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「人間には限界がある」

  1. 処女が身ごもる

    私たちはかつて学校の保健の授業で生物が子孫を宿すための仕組みを学んだ。これは科学的にも証明されている事実である。しかし、その常識を打ち破る方法で救い主が誕生した。これはどんなに科学が発達しても決して人間にはできない。それがマリヤの身に起こった。

  2. 高齢の女性が身ごもる

    その直前に老夫婦ザカリヤの妻エリサベツが身ごもった。常識的には不可能と思える出来事。ザカリヤもマリヤもどうしてそんなことが起こるのか理解できません、絶対に有り得ないと思った。どれほどの立派な人でも不信仰に陥ることがある。そこには人間の限界があるから。

Ⅱ・「神には限界がない」

  1. 不可能を可能にする

    人間の常識、知恵の範囲では絶対にありえない、理解しえないことであっても、神にはそれができる。神はこの宇宙を、地球を、人間をすべてを創造するほどの力を持った方。無から有を造り出すお方。そしてそのすべてを支配する権威あるお方。神にできないことはない。

  2. 我々人間にそのみわざをなす

    神は遠い昔にとてつもないみわざをなしたが、そのみわざは過去にとどまらず、現代を生きる私たちにもそのみわざをなす。目を上げて周りを見渡す時、自分の人生を振り返ってみる時、いたるところに神の大いなるみわざ、理解を超えるみわざがなされていることを知る。

Ⅲ・「神のみわざへの応答」

  1. マリヤの応答

    マリヤは受け止めきれない事実を前におどろきとまどったものの「おことばどおりになりますように」と信仰を持って受け止めることができた。不可能を可能にする神のみわざに自分の思いではなく、神のご計画に全面的に従うという信仰をもって応答することができた。

  2. 私たちの応答

    マリヤに対して私たちはどうであろうか?どうしても自分の考えや希望が最優先されてしまいがち。でも自分の気持ちではなく神のみわざに優先権をもって物事と向き合う時、救い主をお与えになった神の大いなる恵みが惜しみなく与えられていることに気付けるのだ。

結論:神がマリヤやザカリヤを通して、聖書全体を通して驚くべきみわざをもって私たちの歩みを導いておられる。時にその意外性に私たちはひどく戸惑ってしまうかもしれない。あまりに受け入れがたい事実を前に不信仰の応答をしてしまうかもしれない。しかし、その先にある神の恵みに目を留めていくためにも、自分の思いではなく、神のみわざを信じ従順に受け入れていくことが求められている。イエス様はそうしたマリヤの従順さによってこの地上にお生まれになった。その神は私たちを用いてみわざをなそうとしている。おめでとう恵まれた方、といつも共にいてくださり、私たちを祝福してくださるのだ。


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by ontheway-chapel | 2017-12-25 12:35 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「弱きを助ける救い主」

  1. 支えて起こしてくださる

    日々の生活において多くの問題が目の前に広がっているが、多くは自分の力で何とか乗り越えることができたと感じているかもしれないが、どうにもならない問題と遭遇したとき倒れ、生きる気力すら奪われるほどに動けなくなる。その時、助けてくださる存在がある。

  2. 弱さを補う恵み

    神は私たちに知恵と恵みを与えられる。物事の視点をダイナミックに変えさせてくださる。同じ試練を前にして、こんなに辛くひどいことと悲観的に見ることもできれば、これを通して成長させてくださると見ることもできる。主との出会いによって新しい視点が与えられる。

Ⅱ・「必要を備える救い主」

  1. 主を待ち望む視点

    主は最初の罪を犯したアダムの贖いのために、動物の皮の衣を備えた。以来、人の罪の贖いには動物が用いられた。どれほどの動物が犠牲となってきただろうか?しかし、たった一人のお方の贖いによって罪赦され、神との平和に生きることができる救い主が約束されていた。

  2. 願いを満たすお方

    神は人類すべてのために救い主を与えて下さった。このお方は私たちが願うすべてのものを満たしてくださる。人類の平和、幸せ、喜び、祝福、栄光。私たちの必要をすべてご存知であり、時にかなって与えて下さるお方。救い主を受け入れるとき、すべて満たされる。

Ⅲ・「守ってくださる救い主」

  1. 行くべき道を示される

    私たちは道に迷う存在。時にとんでもない危険な、闇の道へと突き進もうとしてしまう。しかし、救い主なるお方は私たちの進むべき道を光を照らして教えてくださり、軌道修正して間違った道に行かないように守ってくださる。私たちの救い主は悪から守ってくださる。

  2. 近くにおられる

    偉大なる救い主であるがゆえに、どこか遠くから見守ってくれるイメージを持ってしまいがち。しかし救い主はすぐ側におられ、いつも共にいてくださる。だから、いつでもどこにいても私たちは確かに守られている。だから私たちも救い主をほめたたえることができる。

結論:イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス。それは、誰かが決めたおとぎ話でもなく、自分とは直接関係ないイベントでもない。みんながお祝いしているから何となく、便乗する行事でもない。私たち自身の人生に、日々の歩みにとって、またその後においても、かけがえのない重大な出来事である。私のためのクリスマスと主体的に祝うことができる行事。そしてそのイエス・キリストは私たちといつも共にいてくださり、私たちのことをいつまでも守り続けてくださる。なぜなら私のことを愛してくださっているから。



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by ontheway-chapel | 2017-12-05 13:57 | Comments(0)