聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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本論:Ⅰ・「神からの恵みをいただいている」

     A.イエスの仕え人となる

       パウロは自らをイエス様に仕える人として生きる者と確信していた。そして異邦人のために、

一人でも多くの人が救われるようにと、その生涯をささげた。そして神の福音をもって、人々

を導こうとした。しかし、これを実現するためには自力だけでは決してうまくいかない。

B.聖霊による

       パウロは異邦人を聖霊によって聖なる者とされた、神に受け入れられる供え物とすることを

目指していた。パウロによってではなく、誰かによってでもなく、聖霊によって異邦人を聖

なる神の供え物となるようにと願っており、この働きに誇りを持っていた。

Ⅱ・「神が用いてくださる」

  A.御霊の力に頼る

    パウロはかつて神の働きと信じていながら、しかし自分の力によってキリスト者たちを迫害

していた。しかし、そのことが間違いと気づいたのは聖霊の働きによってであった。それ以

降、パウロは聖霊の力によってのみ、自らの進む道をゆだねていった。

B.神に用いられる器として

    かつてD.L.ムーディーと言う人がいた。彼は貧しい家庭に育ったこともあって、無学であっ

たが、神に従順であった。その彼が神に用いられた時、神学校にも行けない者が大説教者と

して福音を宣べ伝える者として立てられ、多くの人を救いへと導き神学校まで設立した。

Ⅲ・「神を見て、悟ることができるように」

  A.福音を知らない人へ

    パウロはローマ行きを切に願っていた。それは、まだ福音が伝えられていない人たちにが、

神を見ることができるように、福音を聞いたことのない人が真理を悟ることができるように

という思いからであった。私たちの周りにもそのような人が多くいるのではないだろうか?

B.福音を宣べ伝える

    では、誰が一体そのような人に福音を伝えるのか?そのまま滅びに至る様子を眺めていてい

いのだろうか?今年の標語聖句Ⅱテモテには時が良くても悪くても、と記されている。聖霊

に祈り求めよう。聖霊の示す時こそが私たちの都合関係なしに最善のチャンスである。

結論:福音を伝えるということは、口でいうほど簡単なことではない。しかし、無学な者であっても、口下手な者であって、主が用いられる時、そこには私たちの想像を超えたとんでもないことが起こる。自分にではなく、主に期待しよう。主に用いられやすい器となれるよう、日々備えていこう。福音を語ることは、この時代にあって、現代を生きる私たちに与えられている大切な使命である。そしてこの働きは決して恥ではなく、誇りとすべきことである。私たちの人生を一変させたすばらしい福音を、私たちも誰かに宣べ伝えていこうではないか。


by ontheway-chapel | 2018-12-31 11:28 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「愛が与えられたクリスマス」

     A.愛から生まれたイエス

       神の御子であるイエス・キリストは本来ならば王座に座している存在であった。神は人を愛

された。しかし神に愛された人は堕落し、現状では永遠の滅びへとただ落ちるだけの状態で

あった。神は何とかして現状を打破するために、御子をこの地上に送られた。すべては人に

対する神の愛によるみわざであり、クリスマスは神の愛が明確に示された日である。

B.永遠のいのちへ誘ったイエス

       イエス・キリストが人となって来られた目的は、イエスを信じる者が滅びるのではなく、永

遠のいのちを持つためであった。それは、本来ならば永遠の滅びに行くしかない我々が、イ

エスの十字架の贖いによって再び神との正しい関係に立ち返るためである。また十字架の死

からの復活が、我々にも死からの復活の希望、完全なる勝利をもたらした。

   Ⅱ・「光が示されたクリスマス」

A.光が世に来られたクリスマス

       神はこの世の闇を彷徨い、何が本物で何が正しいのかわからなくなっている我々に、向かう

べき道はここだと光を示された。それがイエス・キリストである。今の時代も混迷を極め、

人々は不安を感じ、目先の希望に心惑わされる。クリスマスシーズン、街中はきらびやかに

光が灯るが、すぐに消えてしまう。しかしキリストの光は永遠に輝き続ける。

B.闇を打ち破ったクリスマス

       人々はやみの中でもがき苦しんでいる。そしてこの闇を自力で打ち破る方法はない。絶望的

に思える時、希望の光が灯された。この光こそ、我々を闇から救い出し、やみの支配を完全

に打ち砕くことができる。そしてこの勝利こそが、絶望の淵にいた私たちに栄光をもたらし、

神の愛が完全成就するのである。この光に私たちはすべてをささげて歩んでいきたい。

結論:クリスマスは多くの人にとって、楽しみであり、ワクワクする時でもある。おいしい食事に素敵なプレゼント。世界中で喜ばれ、待ち望まれている日である。しかしそれが自分たちを満足させるだけのイベントであるならば、本当のクリスマスの意味がない、空っぽの時となってしまう。クリスマスは神の愛が明確に形として示された、目に見える形で人々に示されたときである。神の愛が中心にあるのが本当のクリスマスである。そして、この愛によって、私たちは滅びることなく、永遠のいのちをいただくことができる。神の愛によって絶望の闇から、光によって救い出された。だから、クリスマスをお祝いする。心から感謝と喜びをもってクリスマスを待ち望む。今年のクリスマス、本当の意味をもう一度じっくり味わう時とさせていただこう。そして感謝と喜びに満ち溢れたひと時としよう。


by ontheway-chapel | 2018-12-25 11:28 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「平和とみことばを語った主」

     A.どの国の人であっても

      ペテロはコルネリオとの出会いの中で、神が確かにユダヤ人だけに限らず、どの国の人であっ

ても、神を恐れかしこみ、神の目に正しいことを行おうとするならば、その人は神に受け入れ

られるのだということを確信した。神は世界中のすべての人をその救いの対象としておられる。

B.平和を宣べ伝えたイエス

   神はイエスを通して、平和を宣べ伝えた。イスラエルの人たちは軍事的力によってローマから

の解放を救い主に期待したが、神の平和は福音の力によって、みことばによって実現すること

をイエスを通して教えられた。そしてこのイエスもまたすべての人の主であった。

Ⅱ・「聖霊と力に満ちた主」

A.良いわざのみなさった

   神はイエスに聖霊と力を注がれた。そしてイエスはその導きによって、各地を巡り歩き、様々

な人と出会い、神を証しするため、神のご計画を人々に知らせるために、神の目において良い

みわざをなさった。それは福音書に記されている通りであり、神の御子としての働きであった。

B.悪魔からすべての人を癒す

   イエスは悪魔の虜、罪の虜となっていた私たちを解放されるために、何が必要かを説いた。病

の癒しなど、神の力でしかなされないことを目の前でなして、人々に神のもとへと立ち返るよ

うに示された。しかし、彼らは魂の癒しよりも目の前の奇蹟に、都合よいみわざを求めた。

Ⅲ・「罪を赦される主」

A.十字架につけられたイエス

   だから人々はイエスを本当の救い主と受け入れることができず、十字架につけてしまった。自

分中心の思い通りにならないとき、私たちは平気でイエスを十字架につけることをしてしまう

弱さがある。しかしこれもまた、神の救いのご計画の成就のため必要なことであった。

B.信じ受け入れるとき

   イエスは弟子たちに全世界に出て行って福音を語るようにと命じられた。それは御子を信じ受

け入れるならば、誰であっても、その名によって罪の赦しを受けることができることを語るこ

とであった。故に私たちは罪から解放された。イエスのご降誕を私たちは心から喜びたい。

結論:イエス・キリストのご降誕は、救い主がこの地上に来られたことをお祝いする時でもある。それは誰もが、どのような力をもってしても、どれほどの大金を積んだとしても不可能であった罪からの解放、永遠のいのちの獲得を実現するためであった。そしてその対象は全世界のすべての人である。だから世界中でクリスマスがお祝いされている。クリスマスは単なる楽しい行事ではない。自分自身の生涯に、人生に、死んだあとの歩みにまで影響するとてつもない、大きな出来事である。私たちは平和とみことばを語られた主を、聖霊と力に満ちた主を、罪赦される主を心から待ち望み、来週のクリスマス礼拝に備えていこうではないか。


by ontheway-chapel | 2018-12-19 16:00 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「主のもとへ」

     A.主が来られた

       救い主は私たちが呼び寄せたから来たのではなく、神の恩寵によって与えられた。主の方か

ら私たちのもとへと来られた。それはこの世の闇、人の罪という絶望から希望へと人類を導く

ために必要なことであった。にもかかわらず当時の人たちは主から離れ、主を捨ててしまった。

B.神の目線で

       当時も現代の人にとってもイエスの存在は不必要と感じたかもしれない。しかし、神の目に

は尊い、大切な存在であった。それは私たち人生における大切な土台となる存在であり、決

して揺らぐことのない、なくてはならない存在であった。だからこの存在のもとへ行くのだ。

Ⅱ・「私たちの姿勢」

A.孤立してはいけない

    家(教会)を造るとき、しっかりした土台の上に一つ一つのパーツが重ね合わされて、初め

て完成する。そのパーツは孤立していたらどれほどの輝き、能力を持っていても意味がなく

なってしまう。私たちはイエスに連なる者として、孤立するのではなく、組み合わされたい。

B.躓きの石にならない

    私たちもかつてはイエスを必要としない、石を捨てた存在であった。しかし、今やこの石は

かけがえのないものである。と同時に、この土台に生きる者として、人々の証しとなる生き

方が求められている。私たちを通して、この石こそが大切なものであると人々に示したい。

Ⅲ・「最高の贈り物」

A.アドベント

    毎年、この時期になると町がクリスマスモードになる。しかし多くの人は、単なるイベント、

行事の一つでしかない。だから、自分たちだけが盛り上がって喜んでおしまいとなる。しか

し、クリスマスは感謝するときである。大切な土台が与えられた記念すべき日であるから。

B.闇から光へ

    最近のクリスマスの特徴にカラフルなイルミネーションが挙げられる。世界が、人生が闇に

包まれている中にあって、絶望の闇に一筋の光が灯されたのがイエスの誕生クリスマスであ

る。これは神のなさったみわざ。この光こそ神様からの最高のクリスマスプレゼントである。

結論:クリスマスにプレゼントを交換したり、光を灯して盛り上がったりする。自分たちだけで盛り上がっただけではもったいない。私たちにとって本当にうれしいプレゼントは何か?見つめるべき、美しくきれいな光はどこにあるのか?本当のクリスマスを味わうために、私たちは主の元へ行く必要がある。そして、私たちがこの事実を人々に宣べ伝えることを神は望んでいる。今年のクリスマス、最高のクリスマスプレゼントをまだ闇の中をさまよっている人々にと伝えていこうではないか。また、私たち自身もこのクリスマスプレゼントを堪能しようではないか。


by ontheway-chapel | 2018-12-12 17:19 | Comments(0)