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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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本論:Ⅰ・「つぶやきを聞かれる主」

     A.イスラエルのつぶやき

      イスラエルは神様の大いなる愛と憐みによってエジプトを脱出し救い出された。しかし、時間

の経過と共にその喜び、感謝は薄れ、次第に文句を言うようになった。神主体から自分主体へ

の転換。しかし神はそのような民のわがままにも耳を傾けてくださった。神の偉大な愛を知る。

    B.つぶやきに応答された主

      飢え死にすると文句を言い、主に責任転嫁した民に対して、主は彼らに十分な食物を与えた。

人は自力でできることなど大したことはない。しかし主には何でもできる。主がこの世すべて

を支配されているために、信じられないようなことも普通に行うことができる。

   Ⅱ・「主を知ることになる」

    A.主を知ることになる

      何も食べ物がないような場所に、突然肉が備えられ、朝にはマナが備えられた。民はこのこと

を通して何を学ぶことができるのだろうか。すべてが神の支配のうちにあり、すべてが神の手

にあるという事実。この世にあるすべては神の作品であり、そこに神を見ることができる。

    B.目に見えないお方を見る

      私たちの生活においても、多くの神の恵みを味わうことができる。しかし多くの人はそれを見

て味わっていても、そこに神の姿を見ることができないが、この世の多くの自然に目を向ける

だけでも、主を知ることができる。創造の御業を、神の支配の偉大さを見ることができる。

結論:この5月は特に自然の美しさを実感できる季節。空を見上げても、きれいな花を見ても、あらゆる自然物に神の作品を見ることができる。この自然を造りだした神を見よう。その神は私たち人間にどれほどの愛を注いでくださっているか。私たちの日々の食事を備え、季節を与え、美しいこの国を与えて下さった。壮大な神のみわざを通して、主を知ることができるとき、私たちはさらに自然の美しさを喜び、感謝をもって味わうことができるのではないだろうか。


by ontheway-chapel | 2019-05-16 18:05 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「ハンナの悩み」

     A.子どもが与えられない

      ハンナの夫には二人の妻があり、一人がハンナでもう一人はエルカナでエルカナには子どもが

与えられていたが、ハンナには子どもがいなかった。毎年行っていた巡礼の際には一人ずつ感

謝のいけにえをささげていたので、子どもがいる、いないで立場が明確にされてしまった。

    B.ペニンナのいじめ

      ハンナは子が与えられないことに悩んでいたが、ペニンナはそのようなハンナの心の痛みにさ

らに塩を塗りつけるような、わざと苛立たせるような仕打ちをしていたようである。ペニンナ

は夫の愛がハンナに向けられていることを快く思わなかったのか。嫉妬、憎しみの怖さを見る。

Ⅱ・「ハンナの祈り」

  A.もし~ならという祈り

   ハンナの祈り、というと2節以降が有名であるが、ここでのハンナの祈りは「もし男の子を授

けてくれるなら、私は~します」という祈り。私もかつて「もし私の願いを聞いてくれるな

ら信仰を持ちます」という約束を祈りの中でした。神を試す?神体験→献身となることもある。

  B.神に期待する

   神を試す、ということに疑問を感じるかもしれない。被造物が創造者に向けてとる態度ではな

い、と。しかし、その祈りの背後にある真剣な思いを神は知っておられる。その覚悟も知って

いる。本気で神に期待していると知っている。神はその祈りに確かに応答してくださる。

Ⅲ・「エリの応答」

  A.エリの勘違い

   ハンナの必死の祈りを見ていたエリはハンナが酔っていると勘違いした。これは当時の巡礼祭

が堕落していたこともあったかもしれないが、エリの性格的な欠陥を現していたかもしれない。

私たちも人の悩みや痛みに対して、寄り添えない、突き放してしまうことがあるかもしれない。

  B.励ましたエリ

   エリは自分の勘違いであるということがハンナの力強い言葉を通して示された。それに対して、

エリは「安心しなさい。神があなたの願いをかなえてくれるように」と励ました。私たちも様々

な課題をおぼえて祈るが、相手を励まし、慰める共感の祈りでありたいと願う。

結論:ハンナの必死の祈りは、様々な切実な悩みと苦しみであった。本当に辛い時、何とかここから抜け出したいと願う。そのような時、人は神がもし本当にこの祈りを聞いてくれるならば、私は、と誓いを立てるかもしれない。神をためるような祈りは、神に失礼かもしれないと感じるかもしれない。しかし、本気の祈りを神は聞いておられる。そして愛なる神はその祈りに応えてくださる。この必死の祈りに対して、エルカナのようにさらにその人を追いつめていくのか、それとも共感し励ましていくのか。イエス様がそうであったように、私たちもまた、人の痛みや悩みに寄り添い、励ましていきたい。
by ontheway-chapel | 2019-05-16 18:02 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「死はできれば避けたい」

      A.死は怖い

      多くの人は日々当たり前のように生きている。それだけに突然目の前に死を突きつけられると

 混乱し、恐れを抱き、不安を感じる。死というものをできれば避けたい。考えないようにした

 い。そう思うのはごく自然な反応である。ではなぜ、そのような反応をするのだろうか?

     B.死の先に何があるのか?

      死を恐れる理由はいくつもあるかと思うが、死の先に何があるのか?この地上での生活との別

 れの先に何があるのかわからない、という目に見えない漠然としたものへの恐れがあるのだろ

 う。だから日本人は4という数字を嫌い、死を避けようとする傾向にあるのだろう。

Ⅱ・「主イエスはよみがえられた」

   A.死に打ち勝った

   「ここにはおられません。よみがえられたのです。」という事実が語られる。死んだ人がよみが

 えるなどありえない、と多くの人は思う。事実弟子たちも諦めていた。しかし、イエスは死か

 ら勝利した。この事実が私たちに死の先に希望を見出すことができる初穂となるのだ。

   B.よみがえりの主と出会う

   弟子たちはよみがえった主と出会った。復活の日に5つの出来事が起こった。この事実を通し

 て、よみがえりの主との出会いによって、弟子たちは絶望から希望に生かされ、驚くほどに変

 えられた。彼らは教会を作り始めた。十字架の死が終わりではなかった。死は終わりではない。

Ⅲ・「キリストは生きている」

   A.復活のキリストを体験的に知る

   聖書にはたくさんの事実、驚くべき記述がある。しかしそれを知識として持っているだけでは、

 生きたキリストとの出会いを果たしたとは言えないかもしれない。体験的にキリストを知り、

 キリストと出会うとき、キリストは今も生きておられると力強く確信することができる。

   B.復活のキリストは語られた

   よみがえられたキリストは弟子たちに直接語られた。ペテロは後悔していたが、前を向いて力

 強く生きた。マリヤも悲しみに沈んでいたが、喜びへと変えられた。私たちにも生きておられ

 るキリストが直接語りかけてくださる。それによってどんな所からも立ち上がることができる。

結論:キリストは死に完全に勝利した。この事実こそが私たちを死の恐れから解放してくださる。死が終わりではなく永遠のいのちへの道であると知ることができた時、私たちは希望をもって、喜びをもってこの地上で精一杯切ることができ、さらにその先にある希望に生きることができる。キリストが今も生きておられるからこそ、私たちが苦難の時に声をかけてくださり、弱い者を強くし、嘆いている者を励まし、下を向いて落ち込んでいても、前を見て力強く歩むことができるようにしてくださる。復活のイエスと体験的な出会いを通して、私たちはさらに喜びの声をあげて、主を賛美し、希望に向かって力強く歩んでいこうではないか。


by ontheway-chapel | 2019-05-16 18:00 | Comments(0)