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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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聖書には実に様々な人物が登場し、神様の導きの中で思いがけない人生を歩んでいきます。
ホセアという人物は、ある時神様から「姦淫の罪を犯した女性と結婚するように」と命じられました。
ホセアはその通りに従うのですが、結婚相手のゴメルは結婚後、他の男性と関係をもって子どもを産みます。
しかも夫と子どもをおいて他の男性のところへと去って行くのですね。

このような結末があるにもかかわらず、神様はホセアにゴメルとの結婚を勧めました。
私たちの感覚からすると、なかなか受け入れ難いことではないでしょうか。
神様はなぜこのようなことを命じられるのだろうか?と神への不信感すら起こりそうです。

しかし神のなさることは、私たち人間の小さな脳では到底理解できません。
目に見えることでしか判断しづらい私たちは、そこだけを見てすべてを判断し、結論を見出そうとします。
もし、同じような状況に陥った時、私たちは何を基準に判断し、行動したらいいのでしょうか?

自分の考え、世的な考えを優先するのか?それとも神様を一番としてそこに従ってくのか?
人生の大きな分岐点です。

実はこのホセアとゴメルの関係は神様とイスラエルの関係としてみることができます。
もう少し視野を広げるならば、神様と私たちとの関係として見ることができるのですね。

本来神様に愛されていた私たちは、その愛を裏切り、平気で神様から離れていった存在です。
もう見捨てられて、怒られて当然の仕打ちを与えてきたにもかかわらず、神様はその関係を修復しようと願い、近づいてくださるのです。
神様の大いなる愛がそこにあります。
私たちに注がれ続けているのです。
神様から離れてしまった状態の方、神様はあなたを待っておられます。


# by ontheway-chapel | 2021-08-11 10:24 | Comments(0)
今年も様々な地域で災害が起こり、尊い命が奪われてしまうという悲しい出来事がありました。
本当に辛く、悲しいことです。

「神様が本当にいるなら、どうしてこのようなことが起こるのか?神様はそれをゆるすのか?」
と聞かれることがあります。
本当にそう思いますよね。
クリスチャンでも思わず、そのように思うことだってあります。

聖書の歴史を見ると、いつの時代も信仰者には様々な試練、困難が襲ってきました。
厳しい迫害もそうですし、個々人においても様々な人間関係に苦しみ、天変地異に悩まされてきました。
そしてその背後には神に敵対する悪魔の存在があり、悪魔が様々なことを通して人々が神様から離れるように、キリストから離れるようにと仕向けて来るのですね。

それに対して聖書は悪魔に立ち向かうようにと教えます。
立ち向かうとは「抵抗する」と言う意味ですが、抵抗するという言葉のもともとの意味は「立つべきところに立ち続ける」ことだそうです。
では私たちが立つべきところとは、いったいどこなのでしょうか?

聖書はキリストに立ち続けるようにと勧めます。
なぜならば、キリストこそ私たちのためにいのちを差し出すほどに、私たちのことを心配してくださり、私たちを守ってくださるからです。
現実には私たちも日々、様々な困難、痛み、悩み、苦しみの中を通されます。
でも、キリストに立ち続けるならば、神ご自身が私たちを守り、助けてくださるのです。
なぜならば、神は私たちを愛し、心配してくださるからです。

# by ontheway-chapel | 2021-08-08 10:12 | Comments(0)
オリンピックが盛り上がっています。
コロナ禍での開催に様々な意見、考えがありますが、選手に罪はありません。
全力でがんばる選手を応援したいと思います。

さて、オリンピック承知の際に「おもてなし」という言葉が注目されました。
日本人の持つすばらしい一面を言い表した「おもてなし」
これは細かいところにまで気が付く、配慮が行き届く日本人のホスピタリティという意味で使われているかと思います。
「おもてなし」の語源について調べてみると・・・「なにかを持って成し遂げる」という意味があるそうです。
ですから「お持て成し」という感じになるでしょうか。

聖書は愛の奉仕に勤しむようにと勧めています。
そしてそのために必要な賜物(個性、特徴など)を神様が特別に私たちに与えて下さっています。
神様からの賜物を持って、愛の奉仕を成し遂げることが求められているのですね。
これが本当のおもてなしです。
私たちにできることはわずかかもしれませんが、神様が必要を満たし、賜物を与えて下さって、それを可能としてくださいます。
愛の奉仕を神様からの賜物を持って成し遂げてみませんか?

その先にはおもてなしに満ち溢れた平和が広がっていくのです。

# by ontheway-chapel | 2021-08-01 10:12 | Comments(0)
平和の祭典といわれるオリンピックが開催されました。
しかし実際には平和とはかけ離れた、様々な問題が浮き彫りとされた大会でもありました。
私たちの思い描く「平和」と聖書の語る「平和」には違いがあるのでしょうか?

聖書のいう「平和」とは敵対する者も含めて、祝福をもって報いていく、というものです。
これはイエス・キリストの人生そのものでもあります。
キリストは真の平和を世にもたらすために、この世に来られましたが、実際には多くの人から罵られ、嘲られました。
そして十字架にかけられてしまいます。
しかしキリストは十字架上でも、敵対する者の祝福を願い、祈ったのです。

聖書は私たちに祝福を語るために熱心になるようにと勧めています。
実際にはそのような生き方を貫くことは簡単ではありません。
だからこそ、私たちにはお手本が必要です。
それがイエス・キリストです。
キリストをお手本とし、その道を進もうと願う時、私たちは本当の平和に生きることができるのです。
平和の源であるイエス・キリストを通して、本当の平和の祭典がなされていくように願います。

# by ontheway-chapel | 2021-07-25 09:52 | Comments(0)
最後の晩餐という有名な絵画があります。
イエス・キリストが十字架につけられる前、最後の晩餐の様子を描いたレオナルド・ダ・ビンチの作品です。
それに倣って「もし、明日で人生が終わるとしたら、最後の晩餐に何が食べたい?」という話題をすることがあります。
皆さんはいかがでしょうか?
豪華な料理を、一度は食べてみたいと思う料理を、有名なシェフが作る料理を・・・夢が膨らみますね。

聖書には「主を味わう」というおもしろい表現があります。
美味しい料理を堪能するとき、私たちの心は喜び、感動に包まれ、何とも言えない幸せな気持ちになります。
同じように、いや、それ以上にキリストを味わうならば、私たちの日々の人生が喜びと感動、幸せな気持ちに満たされるというのです。

実は、私たちは日々、様々な場面で神様の愛を、キリストの愛を味わっています。
例えば、心臓が動いていることも、呼吸をすることも神様の許し無しにはできないことです。
しかし、この恵みを味わうことにいつの間にか慣れっこになってしまい、対して咀嚼もしないで飲み込んでいる。
それで満たされているのだけれども、全然そこに喜びを見出せないという状態が続いているのですね。

身の回りの小さなことに、目を向けてみませんか。
思いがけないところに神様のすばらしい愛、恵みがあります。
そして、それを味わう、じっくりと咀嚼して、味を堪能するとき、私たちは今日も新しい喜びと感動、幸せを味わうことができるのです。



# by ontheway-chapel | 2021-07-11 17:45 | Comments(0)

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