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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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キリスト教の教会の絵を書いてください、とお願いすると多くの人は十字架が掲げられた建物を書いてくれます。
教会にとってそれだけ十字架は大切なものであり、クリスチャンではない人にとっても教会と十字架は切っても切り離せない関係と想像します。
では、なぜ教会は十字架を掲げるのでしょうか?
クリスチャンの方に十字架は誰のため?何のため?と尋ねると
「十字架は私のためにあります」
「イエス様が私たちの罪をすべて負ってくださって、身代わりとなって十字架にかかって下さった」
というような答えをしてくださいます。

この事実をそのまま受け入れるならば、イエス様に対して本当に申し訳ない、と感じるかもしれません。
しかしこのまま同情や申し訳ない、というだけで十字架を見ていたら、前に進むことはできません。
十字架の先にある本当の希望を見出せなくなってしまいます。
身代わりとなってくださったのは、私たちの罪が完全に赦され、それによって神様との和解がなされ、やがて死を迎えた時に私たちは天国に行くことができる。
天国に行って、永遠のいのちが与えられ、そこで本当に喜びと感謝しかない、すばらしい世界に住むことができる。
先に天国に行った方たちとそこで再会することができる。

これが十字架の先にある希望です。
教会が大切にしている光です。
でも、この十字架を信じ受け入れることができないならば、ずっと闇の中をさまよい続けるならば、そこにあるのは絶望です。

いかがでしょうか?
絶望か光か。
改めて、十字架の意味について考えてみる時間をもってみませんか?

# by ontheway-chapel | 2021-04-07 17:16 | Comments(0)
かつて2歳児だった我が家の娘は、成長過程にあって「自分で」「自分でやるの」が口癖の時期がありました。
魔の2歳児、とも言われるそうですが、自我が発達してきて、親の言うなりから自分の力でやりたいという成長段階。
これはとても大切なことで、自分でがんばってやり遂げた時の達成感を味わうことができ、自信をつけていくこともできます。
もちろん、その段階でたくさんの失敗もあり、痛い思いをしながら多くのことを学んでいきます。

イスラエルの民もエリコを攻略し、自身が芽生えたのでしょうか。
アイを攻略するときには、神様の声を聞こうとせず、自分たちのやり方で勝手に攻撃に出ました。
しかしその結果、思いがけない敗北を喫してしまいました。

彼らは失敗の原因を探り求める中で、神様の声に聞き従うべきであることを知ります。
神様のやり方、主の方法こそが最善であるとかつての経験からも知っていました。
それでも、つい自分たちのやり方ですすめてしまう。
私たちも同じです。
目の前の課題が簡単であればあるほど、安易に自分のやり方で進めてしまいます。
しかし、そこに落とし穴があります。
大切なことは、完全であり、万能であられる神様の方法で進めていくことです。

ヨシュアはそのために祈りました。
私たちも主の方法を求めて祈ることから始めていきたいと思います。

# by ontheway-chapel | 2021-04-07 17:06 | Comments(0)
困った時の神頼み、という言い方があります。
私たちは目の前の問題が、簡単である時は何も考えずに、自分の力で乗り越えようとします。
実際に乗り越えてしまったと感じることも多いでしょう。
しかし、そうした経験の繰り返しによって、自分の力、この世にある常識が万能であると勘違いをしてしまうことにつながります。
ある時、自分の力、この世の常識では到底立ち向かうことのできないような困難が襲いかかってきたとき、人は初めて神に思いを向けて助けを求めます。
まさに「困った時の神頼み」的信仰ですね。
これはクリスチャンであっても陥ることがあります。
しかしそれは、自己中心的な生き方であり、神様を中心から降ろしてその座に自分を置くことであります。
神不在の人生とでも言いましょうか。
神様を自分の都合に合わせてコントロールするという行為です。
イスラエルの民は難攻不落のエリコを攻略し、次なる敵アイは比較的安易に攻略できると思い、神様の声を聞かずに勝手に自分たちのやり方で攻撃しました。
その神不在の行動の結果、手痛い敗北を喫してしまいました。
イスラエルはこの失敗を通して、改めて神不在の人生の恐ろしさを体験しました。
と同時に、自分たちの失敗に気づき、神様に立ち返った時、神様は敗北の理由を語り、勝利に必要な道を示されました。
神様は私たちを見捨てません。
私たちを愛しておられるので、私たちが滅びではなく勝利の道を歩むことを願っておられます。
いかがでしょうか?
あなたの人生に神はいますか?
改めて問いかけてみましょう。

# by ontheway-chapel | 2021-03-17 16:10 | Comments(0)

聖書には旧約聖書と新約聖書があることはご存知でしょうか?
旧い契約と新しい契約。
いずれも神様と人との契約が前提となっていることに注目したいと思います。
神様はヨシュアに対して「わたしはあなたとともにいる。だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない」と約束されました。
神様はこの契約を破ることはありません。
いつの時代も契約を破るのは人間の側にありました。
当時、難攻不落と言われたエリコ攻略を前に、神様はもう一度その契約の確認を行いました。
一方でそのような神様と共に戦う人生において、神様との聖なる交わりに入り、その恵み祝福を確認する、契約の再確認をしておく必要がありました。
イスラエルの民はこの神様との契約を改めて体験し、この地上での戦いに備えました。
霊的充実はその人の人生を豊かにすると同時に、あらゆる困難、試練を前にしても乗り越えていくための神様の戦いへの参加の決意(献身)が求められるのです。
イスラエルの民はそれを体験して、エリコ攻略へと向かいました。
私たちもこの地上でのあらゆる戦い(試練や困難)に勝利していくために、神様との契約の恵みを再確認し、献身の思いを新たにしてみましょう。


# by ontheway-chapel | 2021-03-17 16:01 | Comments(0)

遊女ラハブが登場する。
現代においては売春婦ともいえるかもしれない。
そういう働きをしている人に対するイメージは人それぞれに違うかもしれない。
ある人にとっては軽蔑するかもしれないし、ある人にとってはそれも素晴らしい働きだと感じるかもし、その仕事に誇りを持っている人もいるだろう。
当時のイスラエルにとって、遊女とは神の救いとは対極にある存在。
近づくことすら汚らわしいとされる存在。
しかし神はそのラハブを神の働きのために、イスラエルの勝利のために用いられた。
ラハブは神の力を見聞きし、その存在を受け入れ、神の働きに参与した。
どのような人であっても、神を信じ、神と共に歩もうとするならば、神は豊かに祝福される。
私たちもその人の職業や目に見える服装、態度によって偏見や差別の目で人を見てしまうことはないだろうか?
その人も神に愛された大切な存在であり、福音を届けるべき大切な存在である。
私たちも過去において、救いから漏れて当然の存在であったはずである。
神の愛と憐れみの深さをラハブから教えられたい。


# by ontheway-chapel | 2021-03-17 15:55 | Comments(0)