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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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本論:Ⅰ・「もし、守れないなら・・・」

     A.聞き従えないとき

      神の声に聞き従えない時がある。それは自分の声の方が大きくなる時。この世の声の方が大き

くなる時。私たちの知恵に頼るならば、その方が良く思えてしまうことがある。神は私たちを

満たされるはずなのに、満たされないと感じてしまうことがある。自分が真ん中に立っている。

B.守り切れない弱さ

      神の命令、教えこそが正しいと頭ではわかっている。しかし、私たちは守り切れない。実際に

イスラエルの民は神の大いなるみわざを体験しても、神の前につぶやき、神を見ずに後ろを見

て嘆き続けてしまった。そのように神に従えず守れないとき、どうしたらいいのだろうか。

Ⅱ・「限界の先にあるもの」

A.私たちには限界がある

   私たちには限界があるという事実と正面から向き合い、自分の弱さ、限界を素直身に認めるこ

とが大切である。誰が主なのか?神は全世界はわたしのものである、とおっしゃった。この立

ち位置の返還が必要。自分が真ん中に立っていると、限界の先を見ることができない。

B.私たちは主のもの

   神は全世界はわたしのものである、とおっしゃった。私も主のものであるという視点が大切。

   自分で頑張っているうちは限界があり、私たちは行き詰ってしまう。しかし、私たちは全能な

るお方のものであるならば、神が限界を取り払ってくださり、さらに前進させてくださる。

Ⅲ・「もし守るなら・・・」

A.宝としてくださる

   神は自分のものを大切になさる。それも宝のように大切にしてくださるという。私たちは神に

とって宝である。それほど高価で尊いものとして取り扱ってくださる。あなたの宝は何だあろ

うか?その宝のためならば何でもできる。神はそれほどの愛をもって私たちを守ってくださる。

B.神の憐みのゆえに

   私たちは神の命令のすべてを完全に守ることは残念ながらできない。だからと開き直ってはい

けない。私たちなりにできる精一杯をもって神に仕え、教えを守りたい。私たちの不足分は神

が憐れみをもって補ってくださる。そしてそれゆえに、私たちは神の前に正しい歩みができる。

結論:私たちは完全ではない。しかし、それは神が誰よりもご存知である。だから、神は不完全な私たちを赦し、救うためにイエス・キリストを世に送ってくださった。その恵みゆえに私たちは不完全でありながら、完全な救いをいただくことができる者とされた。私たちなり、精一杯をもって神の教えに聞き従い、守っていきたいと思う。その忠実さを神は喜ばれる。そしてそのような私たちを宝のように大切に取り扱ってくださる。宝物を粗末に扱う人はいない。神は宝物が救われ永遠のいのちを獲得し、天の御国に凱旋することを何よりも願っておられる。


# by ontheway-chapel | 2019-02-27 10:48 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「信仰を持って渡る」

    A.信じたいけど信じ切れない

      ついさっきまで目の前に広がっていた海が分かれて、道ができました。その道を前進しなさい、

と言われてどれほどの人が安全を確信して前進できるだろうか?信じたいけれども信じられ

ない、信じ切れないという弱さを私たちは持っている。信仰をもって前進することは難しい。

B.不安な気持ちに寄り添う神

      かつてトマスは復活のイエス様の話を聞いて、この目で見るまでは信じないと言った。イエス

の弟子でさえ、信じたいけれども信じ切れない。しかしそのようなところへイエスは現れ、直

接その不安な気持ちに寄り添ってくださり、トマスが前進できるようにしてくださった。

Ⅱ・「人間的な視点で渡る」

A.神なき視点で前進する方法

   人は自分の想像を超えた出来事を前にうろたえる。しかし、それでも前進するとき自分なりに

前へ進む動機を探す。それは自分の知識や経験を元にして前へと進もうとする。もう何もすが

るものはないが、とにかく進むしかないという無鉄砲な気持ちで進むしかない。

B.神の守りなき前進の危険

   エジプトの民はイスラエルの軍を見つけて分かれた海を渡り始めたが、そこに待っていたのは

無残な結果であった。海は彼らを飲み込むように元通りの姿へと戻った。それはすべて神の支

配のうちにあったことであり人間の力の限界を教えられる。神なき人生の危うさがそこにある。

Ⅲ・「主が私たちを守る」

A.主が海と陸地へと分けた

   かつてこの個所を読んだとき、必死になって科学的にこうした現象が起こる得る可能性を探し、

それでこの個所を受け入れることができた。しかしその視点は間違っている。神が風を吹かし

て海と陸に分けたことが聖書には記されている。すべては主の支配のうちにある。主ありき。

B.主の守りの中で生きる

   イスラエルの民はこの出来事を通して、主の栄光を現そうとされた。民は主を恐れ主を信じた

と書かれている。主の実に不思議な守りを体験した時、彼らは喜びの賛美を歌った。主の守り

の中できることは自然と踊り歌うほどにうれしいことである。本当の幸いは主とともにある。

結論:神を見上げ、神と共に生き、信仰をもって歩もうとするとき私たちの人生は喜びに満たされる。いくつもの感動を体験する。そして必ず守ってくださる主にあって平安が与えられる。何一つ不満がない。しかしほんのちょっとしたことで私たちは不安を感じる。その都度、神は私たちに寄り添ってくださり、あらゆる方法をもって私たちを守り、支え、信仰を支えてくださり、再び喜びと感謝、そして感動に包まれた日常へと誘ってくださる。まずは主を信じて、期待して前へ一歩踏み出してみようではないか。


# by ontheway-chapel | 2019-02-21 11:51 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「神様のご計画」

     A.ペリシテ人の国の道

      神はエジプトを脱出したイスラエルの民を最短距離をあえて通らせることをしなかった。長い

 間奴隷であったイスラエルの民は戦うための道具、準備がなされていなかったことが想像でき

 る。神はイスラエルの民の状況を良くご覧になり、最善の道を備えてくださった。

    B.私たちの歩み

      私たちの歩みも同様に神様はご覧になっておられる。時に最短距離と思える、より効率的と思

 える方法ではない、私たちから見たら遠回り、無駄と思えるようなところを神様はあえて私た

 ちに通らせることがある。その時、自分の考えを優先するか、神に従うかが問われている。

   

Ⅱ・「ヨセフの遺言」

  A.ヨセフ遺言と預言

   ヨセフはかつて神は必ず顧みてくださる、そして必ず約束の地へと導かれるとイスラエルの子

らに伝えた。神の約束は永遠である。そして神の約束は必ず成就する。私たちの目で直接確認

することはできないかもしれない。しかしそれを信じる私たちは決して裏切られることはない。

  B.約束に従ったモーセ

   モーセはこの約束をどこかで伝え聞いていたのだろう。そして、いよいよエジプト脱出の際に、

このことを忘れなかった。私たちは神様からの約束をどれほど大切にできているだろうか?い

ざと言う時、自分のことばかり考えるのではなく神様の約束をすぐに思い出したいと願う。

Ⅲ・「神の守り」

 A.雲の柱と火の柱

   雲は主の臨在を象徴的に現していると言われている。雲の成分、空気中の成分を見るとき、雲

が直接目に見えなくても、いつも私たちの周りに存在していることを知る。神も目には見えね

どもいつも共におられる。火はすべてを温め、光を与え、焼き尽くす力を持っている。

  B.特別な方法を用いられる神

   神様は私たちを守り、導かれるために実に様々な不思議な方法をもって私たちを支えてくださ

る。神様はご自身のご計画を進めるにあたって、あらゆる方法をもって完全にやり遂げるお方。

私たちの想像を超えた方法であり、私たちがすべてを理解することはできない。

結論:私たちは日々当たり前のように生きているように感じる。当たり前のように一日が終わり、次の日が来ると思う。しかしそれは当たり前ではなく、神の守りの中にあり、神のご計画のうちにすべてがあることを知ろう。そしてその中で神は私たちを愛し、守り、支えてくださるお方。あらゆる試練においても、先頭に立って私たちを導いて下さる。だから安心して主と共に歩もうではないか。


# by ontheway-chapel | 2019-02-13 18:04 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「心をかたくなにする」

     A.神がパロに働きかけた

     パロの心を神が頑なにさせた。その目的はしるしと不思議をエジプトの地で行うためでもあっ

た。神のご計画ではイスラエルの民をエジプトから救出することであったが、その実現のため

に実に多くの人や物(それは私たちの理解を超えている事柄)を用いて主の栄光を現している。

   B.かたくなな心の先にあるもの

     パロの心が頑なにされたため、神のしるしと不思議はさばきを伴ってなされた。神は災いを下

すことでイスラエルの民を救出されようとした。多くの教訓がそこには隠されている。私たち

も心頑なにするとき、その先にはさばきが待っているのかもしれない。

Ⅱ・「主であることを知る」

A.パロの心を砕く

  災いの目的と意義が語られる。それはイスラエルの民の救いと何よりも主が誰であるかを知る

ためであった。心頑なな者とは神を神と認めない。神を受け入れることを拒んでいる状態の人

である。自分の殻に閉じこもらず、思い切って主のもとへ飛び込んでいこうではないか。

B.イスラエルの民も見る

   神がエジプトに下すさばき、大いなる御手をイスラエルの民も目撃することになる。つまり、

イスラエルの民も誰が主であるかを知る必要があった。彼らもまた主の大いなるみわざを見な

がらも、主を疑い、目に見える事柄に救いを見出そうとしてしまうことになる。

Ⅲ・「モーセが用いられた意義」

A.モーセは80歳、アロンは83歳であった

   神の救いのご計画が示され、いよいよ実行されていくときに用いられたモーセは80歳であっ

たという。さらにこの先40年の荒野での生活が待っている。神はこうした人選をなさる方。

80歳でも立派に神に用いられる。逆に10代でも用いられる。いつでも備えていよう。

B.常識にとらわれない生き方を

   人間的に見たら80歳で新しい事をするのは、難しいと感じるだろう。先の事、健康のこと、

色々なことを考えたら神のご計画に参加することは難しいと判断しがち。しかし、神がそのよ

うに用いられるならば、そこに従いたい。自分の常識ではなく神のご計画の方が確かである。

結論:目の前に広がる災い。私たちの目には悲惨であり、むごたらしい、目をそむけたくなるかもしれない。しかしそこに神の目的、意義が隠されているならば、私たちはしっかりと目を留めていきたい。そして神のご計画を見極め、従っていきたいと思う。そのためには自分の常識にとらわれていたら見えるものも見えなくなる。心頑なにしているならば、従うこともできない。信仰をもって、心開いて、神の目的にこそ目を留めていきたい。そうするとき、私たちは主のみわざを目撃し、主をより深く知ることができ、幸いなる生涯を送ることができるようにされていく。


# by ontheway-chapel | 2019-01-26 07:43 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「神の壮大なご計画」

     A.モーセに示された計画

      神はイスラエルの民の苦しみの声を聞き、辛い道を通っている姿をご覧になった。私たちの

痛みを担ってくださる主が苦難の中にいるイスラエルの民をエジプトから救い出されるご

計画がモーセに語られた。神は民の苦難を放っておかず、救いの手を差し伸べてくださる。

B.モーセに託された主

      神によるイスラエルの民救出のご計画が示された後、モーセにパロのもとへと行くように命

じた。そして示された救いのご計画をイスラエルの民に告げ知らせるようにとも命じた。不

安を感じたモーセに主が共におられることが約束され、モーセを励ました。

Ⅱ・「不安をおぼえるモーセ」

  A.もし~だったら…

   モーセは神からの語り掛けを民に伝えるという使命が与えられた。それに対してモーセは慎

重でもあり、臆病でもあった。想定される民の反応を神に告げた。不信仰の反応とも思える

が、正直に自分の不安を、弱さをさらけ出し神様と語り合うことは大切である。

B.でも~だから

    神は私たちの不安を聞いてくださり、道を開いてくださる。しかし、私たちの経験からくる

不安や疑問はなかなか払しょくされない。神からの応答に対してでも、とさらにしり込みし

てしまう。でも神はとことん私たちに寄り添い、丁寧に語り合ってくださる。

Ⅲ・「応答される神」

  A.しるしを与える

    神はモーセの不安や疑問に対して実に丁寧に応対してくださる。そして、その解決策を示し

てくださる。それは私たちの理解を超えた方法であるかもしれない。2段階、3段階と記し

を用意してくださり、モーセの不安、疑問を晴らそうとされる。

B.助け手を与える

    モーセはさらに不安を口にする。それに対して神は助け手を与えられた。それぞれに賜物が

ある。神はふさわしい賜物をもった助け手を与えてくださるお方である。神の助けは底を見

ない。私たちに十分すぎるほどの助けを与えてくださる。だから信頼して従いたい。

結論:私たちは様々なことに不安を抱く。そして疑問をおぼえる。それは人として自然なことかもしれない。ある人はそれを不信仰と言うかもしれない。しかし、大切なのはそこでとどまらず、神様に不安な思い、疑問をぶつけていくことである。そして語り合うことである。神は私たちの不足を補ってくださる。不安や疑問にとことん応えてくださり、晴らしてくださるお方である。神がそこまで示してくださる道に対して、信仰をもって応答していく者とさせていただこうではないか。


# by ontheway-chapel | 2019-01-15 08:41 | Comments(0)

~~あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。~~

本論:Ⅰ・「時代に翻弄された赤ちゃん」

     A.パロの命令

      かつてヨセフが家族をエジプトに連れて来て、そこで彼らは守られ祝されていった。しかし、

イスラエルの民が増えていくにつれ、エジプトにとっては脅威となったためイスラエル人た

ちを奴隷として扱うようになり、男の子が生まれたら殺すようにと言う命令が出された。

B.ヘロデの命令

      東方の博士たちがユダヤ人の王を探している、という声を聞いてヘロデ王は自らの立場が奪

われることを恐れた。そしてそのタイミングで産まれたであろう男の子を一人残らず殺すよ

うにと命じ殺させた。そのため、御使いによって一時的にヨセフたちはエジプトに逃れた。

Ⅱ・「奴隷とされた民」

A.エジプトの奴隷とされていた

   イスラエルの民はエジプトの地でどんどん増えていった。彼らはまた勤勉で、有能であった。

それだけにエジプトにとっては放っておけない存在となったために、かれらはエジプト人の

奴隷にされてしまった。イスラエル人は奴隷からの解放を願い、神はモーセを立てた。

B.罪の奴隷とされていた

   イエスが生まれる前、預言者たちは400年にわたり現れなかった。民は繰り返し罪を犯し続

け、預言者を退けた。やがてローマにも支配され、ローマからの救いを求めていた。しかし

神は罪の奴隷と化していた民のために、真の救い主を世に送られた。

Ⅲ・「神の不思議なご介入」

A.ミリヤムとパロの娘

   モーセの出産に伴い、家族はモーセを何とか殺されないようにと隠し続けた。しかし、隠し

続けることができなくなり、川に置いて一切をゆだねた。その時、モーセを発見したのがパ

ロの娘であり、それを見守った姉のミリヤムが実母に世話をするように促した。

B.乙女マリヤ

   イエスのご降誕に際して神は、処女マリヤを用いられた。これは人間的にはまったく理解で

きない不思議な出来事であった。神は私たちの想像をはるかに越えたみわざをもって民を救

い、民を愛し、民を導いて下さる。私たちも神の不思議なご介入に従順でありたいと願う。

結論:モーセの登場はイスラエルのために神の大きな救いのご計画を示すものでもあった。そしてそれは、実にキリストの登場と同じような背景があり、出エジプト記は旧約聖書の心臓部と言われるほどに重要である。それは神の救済、贖い、契約が記されているからであり、全聖書の原点とも連なる重要な個所である。そして、出エジプト記がキリストにおいて成就していく様子が対比されていくとき、明らかにされていく。神の偉大なるご計画をここから学び、また私たちの信仰を新たにされ、より強いものとされていきたく願う。


# by ontheway-chapel | 2019-01-10 17:25 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「神からの恵みをいただいている」

     A.イエスの仕え人となる

       パウロは自らをイエス様に仕える人として生きる者と確信していた。そして異邦人のために、

一人でも多くの人が救われるようにと、その生涯をささげた。そして神の福音をもって、人々

を導こうとした。しかし、これを実現するためには自力だけでは決してうまくいかない。

B.聖霊による

       パウロは異邦人を聖霊によって聖なる者とされた、神に受け入れられる供え物とすることを

目指していた。パウロによってではなく、誰かによってでもなく、聖霊によって異邦人を聖

なる神の供え物となるようにと願っており、この働きに誇りを持っていた。

Ⅱ・「神が用いてくださる」

  A.御霊の力に頼る

    パウロはかつて神の働きと信じていながら、しかし自分の力によってキリスト者たちを迫害

していた。しかし、そのことが間違いと気づいたのは聖霊の働きによってであった。それ以

降、パウロは聖霊の力によってのみ、自らの進む道をゆだねていった。

B.神に用いられる器として

    かつてD.L.ムーディーと言う人がいた。彼は貧しい家庭に育ったこともあって、無学であっ

たが、神に従順であった。その彼が神に用いられた時、神学校にも行けない者が大説教者と

して福音を宣べ伝える者として立てられ、多くの人を救いへと導き神学校まで設立した。

Ⅲ・「神を見て、悟ることができるように」

  A.福音を知らない人へ

    パウロはローマ行きを切に願っていた。それは、まだ福音が伝えられていない人たちにが、

神を見ることができるように、福音を聞いたことのない人が真理を悟ることができるように

という思いからであった。私たちの周りにもそのような人が多くいるのではないだろうか?

B.福音を宣べ伝える

    では、誰が一体そのような人に福音を伝えるのか?そのまま滅びに至る様子を眺めていてい

いのだろうか?今年の標語聖句Ⅱテモテには時が良くても悪くても、と記されている。聖霊

に祈り求めよう。聖霊の示す時こそが私たちの都合関係なしに最善のチャンスである。

結論:福音を伝えるということは、口でいうほど簡単なことではない。しかし、無学な者であっても、口下手な者であって、主が用いられる時、そこには私たちの想像を超えたとんでもないことが起こる。自分にではなく、主に期待しよう。主に用いられやすい器となれるよう、日々備えていこう。福音を語ることは、この時代にあって、現代を生きる私たちに与えられている大切な使命である。そしてこの働きは決して恥ではなく、誇りとすべきことである。私たちの人生を一変させたすばらしい福音を、私たちも誰かに宣べ伝えていこうではないか。


# by ontheway-chapel | 2018-12-31 11:28 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「愛が与えられたクリスマス」

     A.愛から生まれたイエス

       神の御子であるイエス・キリストは本来ならば王座に座している存在であった。神は人を愛

された。しかし神に愛された人は堕落し、現状では永遠の滅びへとただ落ちるだけの状態で

あった。神は何とかして現状を打破するために、御子をこの地上に送られた。すべては人に

対する神の愛によるみわざであり、クリスマスは神の愛が明確に示された日である。

B.永遠のいのちへ誘ったイエス

       イエス・キリストが人となって来られた目的は、イエスを信じる者が滅びるのではなく、永

遠のいのちを持つためであった。それは、本来ならば永遠の滅びに行くしかない我々が、イ

エスの十字架の贖いによって再び神との正しい関係に立ち返るためである。また十字架の死

からの復活が、我々にも死からの復活の希望、完全なる勝利をもたらした。

   Ⅱ・「光が示されたクリスマス」

A.光が世に来られたクリスマス

       神はこの世の闇を彷徨い、何が本物で何が正しいのかわからなくなっている我々に、向かう

べき道はここだと光を示された。それがイエス・キリストである。今の時代も混迷を極め、

人々は不安を感じ、目先の希望に心惑わされる。クリスマスシーズン、街中はきらびやかに

光が灯るが、すぐに消えてしまう。しかしキリストの光は永遠に輝き続ける。

B.闇を打ち破ったクリスマス

       人々はやみの中でもがき苦しんでいる。そしてこの闇を自力で打ち破る方法はない。絶望的

に思える時、希望の光が灯された。この光こそ、我々を闇から救い出し、やみの支配を完全

に打ち砕くことができる。そしてこの勝利こそが、絶望の淵にいた私たちに栄光をもたらし、

神の愛が完全成就するのである。この光に私たちはすべてをささげて歩んでいきたい。

結論:クリスマスは多くの人にとって、楽しみであり、ワクワクする時でもある。おいしい食事に素敵なプレゼント。世界中で喜ばれ、待ち望まれている日である。しかしそれが自分たちを満足させるだけのイベントであるならば、本当のクリスマスの意味がない、空っぽの時となってしまう。クリスマスは神の愛が明確に形として示された、目に見える形で人々に示されたときである。神の愛が中心にあるのが本当のクリスマスである。そして、この愛によって、私たちは滅びることなく、永遠のいのちをいただくことができる。神の愛によって絶望の闇から、光によって救い出された。だから、クリスマスをお祝いする。心から感謝と喜びをもってクリスマスを待ち望む。今年のクリスマス、本当の意味をもう一度じっくり味わう時とさせていただこう。そして感謝と喜びに満ち溢れたひと時としよう。


# by ontheway-chapel | 2018-12-25 11:28 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「平和とみことばを語った主」

     A.どの国の人であっても

      ペテロはコルネリオとの出会いの中で、神が確かにユダヤ人だけに限らず、どの国の人であっ

ても、神を恐れかしこみ、神の目に正しいことを行おうとするならば、その人は神に受け入れ

られるのだということを確信した。神は世界中のすべての人をその救いの対象としておられる。

B.平和を宣べ伝えたイエス

   神はイエスを通して、平和を宣べ伝えた。イスラエルの人たちは軍事的力によってローマから

の解放を救い主に期待したが、神の平和は福音の力によって、みことばによって実現すること

をイエスを通して教えられた。そしてこのイエスもまたすべての人の主であった。

Ⅱ・「聖霊と力に満ちた主」

A.良いわざのみなさった

   神はイエスに聖霊と力を注がれた。そしてイエスはその導きによって、各地を巡り歩き、様々

な人と出会い、神を証しするため、神のご計画を人々に知らせるために、神の目において良い

みわざをなさった。それは福音書に記されている通りであり、神の御子としての働きであった。

B.悪魔からすべての人を癒す

   イエスは悪魔の虜、罪の虜となっていた私たちを解放されるために、何が必要かを説いた。病

の癒しなど、神の力でしかなされないことを目の前でなして、人々に神のもとへと立ち返るよ

うに示された。しかし、彼らは魂の癒しよりも目の前の奇蹟に、都合よいみわざを求めた。

Ⅲ・「罪を赦される主」

A.十字架につけられたイエス

   だから人々はイエスを本当の救い主と受け入れることができず、十字架につけてしまった。自

分中心の思い通りにならないとき、私たちは平気でイエスを十字架につけることをしてしまう

弱さがある。しかしこれもまた、神の救いのご計画の成就のため必要なことであった。

B.信じ受け入れるとき

   イエスは弟子たちに全世界に出て行って福音を語るようにと命じられた。それは御子を信じ受

け入れるならば、誰であっても、その名によって罪の赦しを受けることができることを語るこ

とであった。故に私たちは罪から解放された。イエスのご降誕を私たちは心から喜びたい。

結論:イエス・キリストのご降誕は、救い主がこの地上に来られたことをお祝いする時でもある。それは誰もが、どのような力をもってしても、どれほどの大金を積んだとしても不可能であった罪からの解放、永遠のいのちの獲得を実現するためであった。そしてその対象は全世界のすべての人である。だから世界中でクリスマスがお祝いされている。クリスマスは単なる楽しい行事ではない。自分自身の生涯に、人生に、死んだあとの歩みにまで影響するとてつもない、大きな出来事である。私たちは平和とみことばを語られた主を、聖霊と力に満ちた主を、罪赦される主を心から待ち望み、来週のクリスマス礼拝に備えていこうではないか。


# by ontheway-chapel | 2018-12-19 16:00 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「主のもとへ」

     A.主が来られた

       救い主は私たちが呼び寄せたから来たのではなく、神の恩寵によって与えられた。主の方か

ら私たちのもとへと来られた。それはこの世の闇、人の罪という絶望から希望へと人類を導く

ために必要なことであった。にもかかわらず当時の人たちは主から離れ、主を捨ててしまった。

B.神の目線で

       当時も現代の人にとってもイエスの存在は不必要と感じたかもしれない。しかし、神の目に

は尊い、大切な存在であった。それは私たち人生における大切な土台となる存在であり、決

して揺らぐことのない、なくてはならない存在であった。だからこの存在のもとへ行くのだ。

Ⅱ・「私たちの姿勢」

A.孤立してはいけない

    家(教会)を造るとき、しっかりした土台の上に一つ一つのパーツが重ね合わされて、初め

て完成する。そのパーツは孤立していたらどれほどの輝き、能力を持っていても意味がなく

なってしまう。私たちはイエスに連なる者として、孤立するのではなく、組み合わされたい。

B.躓きの石にならない

    私たちもかつてはイエスを必要としない、石を捨てた存在であった。しかし、今やこの石は

かけがえのないものである。と同時に、この土台に生きる者として、人々の証しとなる生き

方が求められている。私たちを通して、この石こそが大切なものであると人々に示したい。

Ⅲ・「最高の贈り物」

A.アドベント

    毎年、この時期になると町がクリスマスモードになる。しかし多くの人は、単なるイベント、

行事の一つでしかない。だから、自分たちだけが盛り上がって喜んでおしまいとなる。しか

し、クリスマスは感謝するときである。大切な土台が与えられた記念すべき日であるから。

B.闇から光へ

    最近のクリスマスの特徴にカラフルなイルミネーションが挙げられる。世界が、人生が闇に

包まれている中にあって、絶望の闇に一筋の光が灯されたのがイエスの誕生クリスマスであ

る。これは神のなさったみわざ。この光こそ神様からの最高のクリスマスプレゼントである。

結論:クリスマスにプレゼントを交換したり、光を灯して盛り上がったりする。自分たちだけで盛り上がっただけではもったいない。私たちにとって本当にうれしいプレゼントは何か?見つめるべき、美しくきれいな光はどこにあるのか?本当のクリスマスを味わうために、私たちは主の元へ行く必要がある。そして、私たちがこの事実を人々に宣べ伝えることを神は望んでいる。今年のクリスマス、最高のクリスマスプレゼントをまだ闇の中をさまよっている人々にと伝えていこうではないか。また、私たち自身もこのクリスマスプレゼントを堪能しようではないか。


# by ontheway-chapel | 2018-12-12 17:19 | Comments(0)