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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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本論:Ⅰ・「神の壮大なご計画」

     A.モーセに示された計画

      神はイスラエルの民の苦しみの声を聞き、辛い道を通っている姿をご覧になった。私たちの

痛みを担ってくださる主が苦難の中にいるイスラエルの民をエジプトから救い出されるご

計画がモーセに語られた。神は民の苦難を放っておかず、救いの手を差し伸べてくださる。

B.モーセに託された主

      神によるイスラエルの民救出のご計画が示された後、モーセにパロのもとへと行くように命

じた。そして示された救いのご計画をイスラエルの民に告げ知らせるようにとも命じた。不

安を感じたモーセに主が共におられることが約束され、モーセを励ました。

Ⅱ・「不安をおぼえるモーセ」

  A.もし~だったら…

   モーセは神からの語り掛けを民に伝えるという使命が与えられた。それに対してモーセは慎

重でもあり、臆病でもあった。想定される民の反応を神に告げた。不信仰の反応とも思える

が、正直に自分の不安を、弱さをさらけ出し神様と語り合うことは大切である。

B.でも~だから

    神は私たちの不安を聞いてくださり、道を開いてくださる。しかし、私たちの経験からくる

不安や疑問はなかなか払しょくされない。神からの応答に対してでも、とさらにしり込みし

てしまう。でも神はとことん私たちに寄り添い、丁寧に語り合ってくださる。

Ⅲ・「応答される神」

  A.しるしを与える

    神はモーセの不安や疑問に対して実に丁寧に応対してくださる。そして、その解決策を示し

てくださる。それは私たちの理解を超えた方法であるかもしれない。2段階、3段階と記し

を用意してくださり、モーセの不安、疑問を晴らそうとされる。

B.助け手を与える

    モーセはさらに不安を口にする。それに対して神は助け手を与えられた。それぞれに賜物が

ある。神はふさわしい賜物をもった助け手を与えてくださるお方である。神の助けは底を見

ない。私たちに十分すぎるほどの助けを与えてくださる。だから信頼して従いたい。

結論:私たちは様々なことに不安を抱く。そして疑問をおぼえる。それは人として自然なことかもしれない。ある人はそれを不信仰と言うかもしれない。しかし、大切なのはそこでとどまらず、神様に不安な思い、疑問をぶつけていくことである。そして語り合うことである。神は私たちの不足を補ってくださる。不安や疑問にとことん応えてくださり、晴らしてくださるお方である。神がそこまで示してくださる道に対して、信仰をもって応答していく者とさせていただこうではないか。


# by ontheway-chapel | 2019-01-15 08:41 | Comments(0)

~~あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。~~

本論:Ⅰ・「時代に翻弄された赤ちゃん」

     A.パロの命令

      かつてヨセフが家族をエジプトに連れて来て、そこで彼らは守られ祝されていった。しかし、

イスラエルの民が増えていくにつれ、エジプトにとっては脅威となったためイスラエル人た

ちを奴隷として扱うようになり、男の子が生まれたら殺すようにと言う命令が出された。

B.ヘロデの命令

      東方の博士たちがユダヤ人の王を探している、という声を聞いてヘロデ王は自らの立場が奪

われることを恐れた。そしてそのタイミングで産まれたであろう男の子を一人残らず殺すよ

うにと命じ殺させた。そのため、御使いによって一時的にヨセフたちはエジプトに逃れた。

Ⅱ・「奴隷とされた民」

A.エジプトの奴隷とされていた

   イスラエルの民はエジプトの地でどんどん増えていった。彼らはまた勤勉で、有能であった。

それだけにエジプトにとっては放っておけない存在となったために、かれらはエジプト人の

奴隷にされてしまった。イスラエル人は奴隷からの解放を願い、神はモーセを立てた。

B.罪の奴隷とされていた

   イエスが生まれる前、預言者たちは400年にわたり現れなかった。民は繰り返し罪を犯し続

け、預言者を退けた。やがてローマにも支配され、ローマからの救いを求めていた。しかし

神は罪の奴隷と化していた民のために、真の救い主を世に送られた。

Ⅲ・「神の不思議なご介入」

A.ミリヤムとパロの娘

   モーセの出産に伴い、家族はモーセを何とか殺されないようにと隠し続けた。しかし、隠し

続けることができなくなり、川に置いて一切をゆだねた。その時、モーセを発見したのがパ

ロの娘であり、それを見守った姉のミリヤムが実母に世話をするように促した。

B.乙女マリヤ

   イエスのご降誕に際して神は、処女マリヤを用いられた。これは人間的にはまったく理解で

きない不思議な出来事であった。神は私たちの想像をはるかに越えたみわざをもって民を救

い、民を愛し、民を導いて下さる。私たちも神の不思議なご介入に従順でありたいと願う。

結論:モーセの登場はイスラエルのために神の大きな救いのご計画を示すものでもあった。そしてそれは、実にキリストの登場と同じような背景があり、出エジプト記は旧約聖書の心臓部と言われるほどに重要である。それは神の救済、贖い、契約が記されているからであり、全聖書の原点とも連なる重要な個所である。そして、出エジプト記がキリストにおいて成就していく様子が対比されていくとき、明らかにされていく。神の偉大なるご計画をここから学び、また私たちの信仰を新たにされ、より強いものとされていきたく願う。


# by ontheway-chapel | 2019-01-10 17:25 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「神からの恵みをいただいている」

     A.イエスの仕え人となる

       パウロは自らをイエス様に仕える人として生きる者と確信していた。そして異邦人のために、

一人でも多くの人が救われるようにと、その生涯をささげた。そして神の福音をもって、人々

を導こうとした。しかし、これを実現するためには自力だけでは決してうまくいかない。

B.聖霊による

       パウロは異邦人を聖霊によって聖なる者とされた、神に受け入れられる供え物とすることを

目指していた。パウロによってではなく、誰かによってでもなく、聖霊によって異邦人を聖

なる神の供え物となるようにと願っており、この働きに誇りを持っていた。

Ⅱ・「神が用いてくださる」

  A.御霊の力に頼る

    パウロはかつて神の働きと信じていながら、しかし自分の力によってキリスト者たちを迫害

していた。しかし、そのことが間違いと気づいたのは聖霊の働きによってであった。それ以

降、パウロは聖霊の力によってのみ、自らの進む道をゆだねていった。

B.神に用いられる器として

    かつてD.L.ムーディーと言う人がいた。彼は貧しい家庭に育ったこともあって、無学であっ

たが、神に従順であった。その彼が神に用いられた時、神学校にも行けない者が大説教者と

して福音を宣べ伝える者として立てられ、多くの人を救いへと導き神学校まで設立した。

Ⅲ・「神を見て、悟ることができるように」

  A.福音を知らない人へ

    パウロはローマ行きを切に願っていた。それは、まだ福音が伝えられていない人たちにが、

神を見ることができるように、福音を聞いたことのない人が真理を悟ることができるように

という思いからであった。私たちの周りにもそのような人が多くいるのではないだろうか?

B.福音を宣べ伝える

    では、誰が一体そのような人に福音を伝えるのか?そのまま滅びに至る様子を眺めていてい

いのだろうか?今年の標語聖句Ⅱテモテには時が良くても悪くても、と記されている。聖霊

に祈り求めよう。聖霊の示す時こそが私たちの都合関係なしに最善のチャンスである。

結論:福音を伝えるということは、口でいうほど簡単なことではない。しかし、無学な者であっても、口下手な者であって、主が用いられる時、そこには私たちの想像を超えたとんでもないことが起こる。自分にではなく、主に期待しよう。主に用いられやすい器となれるよう、日々備えていこう。福音を語ることは、この時代にあって、現代を生きる私たちに与えられている大切な使命である。そしてこの働きは決して恥ではなく、誇りとすべきことである。私たちの人生を一変させたすばらしい福音を、私たちも誰かに宣べ伝えていこうではないか。


# by ontheway-chapel | 2018-12-31 11:28 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「愛が与えられたクリスマス」

     A.愛から生まれたイエス

       神の御子であるイエス・キリストは本来ならば王座に座している存在であった。神は人を愛

された。しかし神に愛された人は堕落し、現状では永遠の滅びへとただ落ちるだけの状態で

あった。神は何とかして現状を打破するために、御子をこの地上に送られた。すべては人に

対する神の愛によるみわざであり、クリスマスは神の愛が明確に示された日である。

B.永遠のいのちへ誘ったイエス

       イエス・キリストが人となって来られた目的は、イエスを信じる者が滅びるのではなく、永

遠のいのちを持つためであった。それは、本来ならば永遠の滅びに行くしかない我々が、イ

エスの十字架の贖いによって再び神との正しい関係に立ち返るためである。また十字架の死

からの復活が、我々にも死からの復活の希望、完全なる勝利をもたらした。

   Ⅱ・「光が示されたクリスマス」

A.光が世に来られたクリスマス

       神はこの世の闇を彷徨い、何が本物で何が正しいのかわからなくなっている我々に、向かう

べき道はここだと光を示された。それがイエス・キリストである。今の時代も混迷を極め、

人々は不安を感じ、目先の希望に心惑わされる。クリスマスシーズン、街中はきらびやかに

光が灯るが、すぐに消えてしまう。しかしキリストの光は永遠に輝き続ける。

B.闇を打ち破ったクリスマス

       人々はやみの中でもがき苦しんでいる。そしてこの闇を自力で打ち破る方法はない。絶望的

に思える時、希望の光が灯された。この光こそ、我々を闇から救い出し、やみの支配を完全

に打ち砕くことができる。そしてこの勝利こそが、絶望の淵にいた私たちに栄光をもたらし、

神の愛が完全成就するのである。この光に私たちはすべてをささげて歩んでいきたい。

結論:クリスマスは多くの人にとって、楽しみであり、ワクワクする時でもある。おいしい食事に素敵なプレゼント。世界中で喜ばれ、待ち望まれている日である。しかしそれが自分たちを満足させるだけのイベントであるならば、本当のクリスマスの意味がない、空っぽの時となってしまう。クリスマスは神の愛が明確に形として示された、目に見える形で人々に示されたときである。神の愛が中心にあるのが本当のクリスマスである。そして、この愛によって、私たちは滅びることなく、永遠のいのちをいただくことができる。神の愛によって絶望の闇から、光によって救い出された。だから、クリスマスをお祝いする。心から感謝と喜びをもってクリスマスを待ち望む。今年のクリスマス、本当の意味をもう一度じっくり味わう時とさせていただこう。そして感謝と喜びに満ち溢れたひと時としよう。


# by ontheway-chapel | 2018-12-25 11:28 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「平和とみことばを語った主」

     A.どの国の人であっても

      ペテロはコルネリオとの出会いの中で、神が確かにユダヤ人だけに限らず、どの国の人であっ

ても、神を恐れかしこみ、神の目に正しいことを行おうとするならば、その人は神に受け入れ

られるのだということを確信した。神は世界中のすべての人をその救いの対象としておられる。

B.平和を宣べ伝えたイエス

   神はイエスを通して、平和を宣べ伝えた。イスラエルの人たちは軍事的力によってローマから

の解放を救い主に期待したが、神の平和は福音の力によって、みことばによって実現すること

をイエスを通して教えられた。そしてこのイエスもまたすべての人の主であった。

Ⅱ・「聖霊と力に満ちた主」

A.良いわざのみなさった

   神はイエスに聖霊と力を注がれた。そしてイエスはその導きによって、各地を巡り歩き、様々

な人と出会い、神を証しするため、神のご計画を人々に知らせるために、神の目において良い

みわざをなさった。それは福音書に記されている通りであり、神の御子としての働きであった。

B.悪魔からすべての人を癒す

   イエスは悪魔の虜、罪の虜となっていた私たちを解放されるために、何が必要かを説いた。病

の癒しなど、神の力でしかなされないことを目の前でなして、人々に神のもとへと立ち返るよ

うに示された。しかし、彼らは魂の癒しよりも目の前の奇蹟に、都合よいみわざを求めた。

Ⅲ・「罪を赦される主」

A.十字架につけられたイエス

   だから人々はイエスを本当の救い主と受け入れることができず、十字架につけてしまった。自

分中心の思い通りにならないとき、私たちは平気でイエスを十字架につけることをしてしまう

弱さがある。しかしこれもまた、神の救いのご計画の成就のため必要なことであった。

B.信じ受け入れるとき

   イエスは弟子たちに全世界に出て行って福音を語るようにと命じられた。それは御子を信じ受

け入れるならば、誰であっても、その名によって罪の赦しを受けることができることを語るこ

とであった。故に私たちは罪から解放された。イエスのご降誕を私たちは心から喜びたい。

結論:イエス・キリストのご降誕は、救い主がこの地上に来られたことをお祝いする時でもある。それは誰もが、どのような力をもってしても、どれほどの大金を積んだとしても不可能であった罪からの解放、永遠のいのちの獲得を実現するためであった。そしてその対象は全世界のすべての人である。だから世界中でクリスマスがお祝いされている。クリスマスは単なる楽しい行事ではない。自分自身の生涯に、人生に、死んだあとの歩みにまで影響するとてつもない、大きな出来事である。私たちは平和とみことばを語られた主を、聖霊と力に満ちた主を、罪赦される主を心から待ち望み、来週のクリスマス礼拝に備えていこうではないか。


# by ontheway-chapel | 2018-12-19 16:00 | Comments(0)

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