1月13日「疑問に応え晴らす主」出エジプト記4:1~17
本論:Ⅰ・「神の壮大なご計画」
A.モーセに示された計画
神はイスラエルの民の苦しみの声を聞き、辛い道を通っている姿をご覧になった。私たちの
痛みを担ってくださる主が苦難の中にいるイスラエルの民をエジプトから救い出されるご
計画がモーセに語られた。神は民の苦難を放っておかず、救いの手を差し伸べてくださる。
B.モーセに託された主
神によるイスラエルの民救出のご計画が示された後、モーセにパロのもとへと行くように命
じた。そして示された救いのご計画をイスラエルの民に告げ知らせるようにとも命じた。不
安を感じたモーセに主が共におられることが約束され、モーセを励ました。
Ⅱ・「不安をおぼえるモーセ」
A.もし~だったら…
モーセは神からの語り掛けを民に伝えるという使命が与えられた。それに対してモーセは慎
重でもあり、臆病でもあった。想定される民の反応を神に告げた。不信仰の反応とも思える
が、正直に自分の不安を、弱さをさらけ出し神様と語り合うことは大切である。
B.でも~だから
神は私たちの不安を聞いてくださり、道を開いてくださる。しかし、私たちの経験からくる
不安や疑問はなかなか払しょくされない。神からの応答に対してでも、とさらにしり込みし
てしまう。でも神はとことん私たちに寄り添い、丁寧に語り合ってくださる。
Ⅲ・「応答される神」
A.しるしを与える
神はモーセの不安や疑問に対して実に丁寧に応対してくださる。そして、その解決策を示し
てくださる。それは私たちの理解を超えた方法であるかもしれない。2段階、3段階と記し
を用意してくださり、モーセの不安、疑問を晴らそうとされる。
B.助け手を与える
モーセはさらに不安を口にする。それに対して神は助け手を与えられた。それぞれに賜物が
ある。神はふさわしい賜物をもった助け手を与えてくださるお方である。神の助けは底を見
ない。私たちに十分すぎるほどの助けを与えてくださる。だから信頼して従いたい。
結論:私たちは様々なことに不安を抱く。そして疑問をおぼえる。それは人として自然なことかもしれない。ある人はそれを不信仰と言うかもしれない。しかし、大切なのはそこでとどまらず、神様に不安な思い、疑問をぶつけていくことである。そして語り合うことである。神は私たちの不足を補ってくださる。不安や疑問にとことん応えてくださり、晴らしてくださるお方である。神がそこまで示してくださる道に対して、信仰をもって応答していく者とさせていただこうではないか。