聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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本論:Ⅰ・「新しい基準」

  1. モーセ律法の基準

    モーセの時代に与えられた十戒の中に「殺してはならない」とある。これは当然さばきの対象となることは誰もが理解できることである。なぜならば目に見える行為であるから。しかしこれは、人の目だけを意識したなかでそれがさばきの対象であるかという基準ともいえる。

  2. イエス様の言われた基準

    しかし、イエス様がもたらした新しい基準は腹を立てるという人間の内面にまでご存知である神様の視点、心の部分にまで及んでいる。律法は外に現れる罪のみではなく、神の前において心、態度、感情もその対象となっていくという全く新しい基準が示された。

Ⅱ・「人と人との和解」

  1. 知らぬ間の罪もある

    当時、ユダヤ人たちがささげもの一生懸命にささげた理由の一つに、自分の知らないところで犯してしまったかもしれない罪があるならば、このささげものを持って赦しをいただく、和解をいただくというものがあった。罪、神に対して、意識の高さがあるからこその行為。

  2. 思い出したが和解のチャンス

    イエス様はささげものをささげている最中にでも、誰かにしてしまった過ちを思い出したならば、和解を何よりも最優先にしなさいと教えた。神と人との和解の前に、まず張本人との和解を大切にすることが奨められている。私たちは和解すべき人がいるだろうか?

Ⅲ・「神と人との和解」

  1. 神は待っていてくださる

    神と人との和解について、神はいつでも私たちと和解したいと願っておられる。それも表面的な和解ではなく、真実の悔い改めを経ての和解である。たとえどのような罪を犯してしまったとしても真実に悔い改めるならば、神は和解してくださる。神だけがさばき主だから。

  2. 和解なしに希望はない

    神との和解がなされないならば、人は永遠に真実の希望や平安を得ることはできない。なぜならば、神との和解がなされない先には、究極のさばきがあるから。神はすべての人と和解をしたいと願っておられる。神に赦されたならば、これ以上の安心、喜びはない。

結論:イエス様は新しい基準を示すことを通して、真実の神との和解の必要性を教えてくださった。そして、そのために自らが十字架にかかって死んでくださった。この十字架を通らなければ、真実の和解は成立しない。イエス様の血潮によって、私たちは初めて神様と和解をすることができる。そしてその過程において、人は自らの弱さを認め、罪を認め、そして悔い改めてイエス様の十字架の前に立つ。そこで罪赦されたとき、私たちは神様との和解の場へと誘われる。そして本当の平安、喜びを感じて日々の生活を幸いを感じつつ、充実して送ることができる。神との和解をしっかりと果たそうではないか。


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# by ontheway-chapel | 2018-03-07 13:39 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「苦しむ者の幸い」

  1. 厳しい現実

    私たちを取り囲む現実に目を向けるとき、当時の迫害と比べたら殉教とは違うが家族に、友人に信仰を告白し、救いへと導くことの難しさにおいては、かなり厳しい道を通らされる。時に家族を失い、友人を失うこともある。しかしそれは義への道であり、栄光への道である。

  2. 報いは大きい

    厳しい現実の中にあって、私たちには希望がある。迫害は嘆き、悲しみではなく、喜びへとつながっていく。なぜならばその先には栄光の義の冠が待っている。地上においては敗北者のように感じるかもしれないが、天における報いは大きく、そこにこそ本当の価値がある。

Ⅱ・「祝福に伴う責任」

  1. 地の塩である責任

    イエスの時代の人々にとって塩とは「純潔」を連想させるものであった。また、塩は「防腐剤」という役割もあった。そして最大の特質として「味を付ける」という特色があった。私たちは世の人たちに対してこのような存在として生きる責任が与えられている。

  2. 世の光である責任

    光としての役割には「人に見られる」というものがある。また「光は人を導く」役割がある。さらに「光は警告をする」私たちがこのような存在として世に輝く者であるようにという責任がイエス様から託されている。この世のいついかなる時も光を放つ存在でありたい。

Ⅲ・「父があがめられるように」

  1. 父と子の関係

    マタイの福音書の中で初めて神を父として表現しているのがこの箇所。父と子どもの関係は実に親密である。子どもは父親に全幅の信頼をもって接する。素直に感謝する。私たちと神様の関係もそうでありたい。自分の喜びを父が一緒に喜んでくれると信じる幼子でありたい。

  2. すべては父のために

    D.L.ムーディーはかつて徹夜祈祷会が終わった学生たちに「僕たちの顔輝いているでしょう」と言われたとき「モーセは自分の顔が輝いていることを知らなかった」と伝えた。私たちはつい自分を誇ってしまうが、すべて神がなしてくださったと確信して生きていきたい。

結論:私たちの全ての基準が神様に向けられるならば、イエス様をお手本としてイエス様のように生きようとするならば、この地上における様々な苦しみも、喜びへと変えられていく。そのように生きるとき、私たちへの報いは大きな祝福となる。そのためにも祝福に伴う責任を果たしていきたい。地の塩として世の光として生きるとき、私たちは託された責任を果たすことができる。そしてそれらすべては自分のためのように思えても神様のためであることを忘れないようにしたい。自分がほめられ認められるのではなく、父なる神が、イエス様があがめられるためにすべてのことを成していきたい。


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# by ontheway-chapel | 2018-02-27 10:10 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「買い戻しの協議」

  1. 律法に基づく交渉

    ボアズは早速行動に出て行く。そしてその進め方は実に律法にかなった正しいものであった。

    買い戻しの筆頭権利を有する者と、町の長老を集めて正式にエリメレクの畑とルツを買い戻すことを協議していった。その結果、ボアズは畑とルツを買い戻すことが正式に決定した。

  2. 背後にあった神の采配

    私たちの視点で聖書を読むと、ルツ記の話はとてもすがすがしい結末によってすべてがうまくいって良かった、となる。しかし背後には神の遠大なる視点があったことを見落としてはいけない。すべてが主の采配のうちにあり、そこに従った信仰者の姿から教えられたい。

Ⅱ・「ルツへの報酬」

  1. モアブ人ルツ

    ルツはモアブ人であり、ナオミの息子と結婚したことによってその人生が大きく変換していく。申命記で「モアブ人は主の集会に加わってはならない」とあるようにイスラエルとの交わりから除外されるような存在であったが、神のご計画において大切な役割が与えられた。

  2. 買い戻されたルツ

    ルツはついにボアズとの結婚が正式に認められた。それはナオミの信じた神を自分の神と宣言するほどに、主と共に歩むことを願い、主に仕え、人に仕えた。思いがけない逆境をも用いて、人の思いを超えて豊かな報酬をもたらす神の姿をこのルツ記に見ることができる。

Ⅲ・「祝福の道を歩もう」

  1. キリストへと続く道

    ボアズとルツの間に生まれた子どもはやがてダビデへと続き、ついに救い主イエス・キリストにまでたどり着く。誰もが願う救い主の系図にモアブ人ルツの名が記されていく。目の前に見える祝福だけが喜びではない。祝福の喜びは神の遠大なる視点を喜ぶことでもある。

  2. 祝福はすべての民に

    モアブ人ルツがキリストの系図に記されることはとんでもないことである。しかし、そこに神の本当の救いのご計画を見ることができる。世から排斥されたか見える存在にまで目を向けてくださり、惜しむことなく祝福を与えてくださる神。私たちも祝福を存分に味わおう。

結論:最初のルツは未亡人となり、異邦人としてイスラエルにやってきた。それは人生においてはどこに希望を見出していいかわからないほどに、辛く過酷な人生であった。にもかかわらず、あなたの神は私の神と主に信頼し、従って歩むことを決心したとき、その道は大きく開かれていった。神の目はすべての人に向けられている。救い主は誰か特定の人種、優れた民だけにものではなく、世から見捨てられ、排除されたと感じるような存在にまで恩寵の御手を差し伸べて下さっている。すべての人を抱き寄せ、愛してくださる神の姿をルツに見ることができる。神はすべての人に祝福を注ごうとしておられる。この祝福をしっかりと抱き寄せ、主と共に歩む者とさせていただこうではないか。


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# by ontheway-chapel | 2018-02-21 17:07 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「どん底からの希望」

  1. ナオミではなくマラ

    かつてナオミはイスラエルに戻った際(119~)ナオミ(快い)とは呼ばずにマラ(苦しみ)と呼ぶよう訴えた。確かにイスラエルを出てモアブの地において夫と2人の子どもに先立たれ、大きな苦しみを味わった。私たちもそのようなとき、神様を遠く感じるかもしれない。

  2. マラからナオミへ

    1章で苦しみ、卑しくされ、つらいめに会わせられたと感じたナオミ。しかしボアズとルツの出会いに神のしるしを見ることができた時、マラからナオミ(快い者)として扱われていることを再確認した。どん底と思えるところにも神の光は必ず届く。神の恵みを掴もう。

Ⅱ・「買い戻しの恵み」

  1. 買い戻しの権利

    当時の律法においてナオミは夫に先立たれたために、死んだ夫に最も近い親族がその家を買い戻し、未亡人と結婚することができたが、拒否することもできた。もし誰もその未亡人を助けようとしなかった時には、残りの人生を貧困の中で絶望と共に生きねばならなかった。

  2. ナオミを信じたルツ

    ナオミのルツへの申し出は、異邦人のルツには不思議に感じたかもしれない。しかしルツはナオミを信頼し、ナオミの言う通りに従った。ナオミの人柄にもよるが、その背後にある信仰、神の導きに従ったと見ることができる。納得しなくても従う信仰を求めてみよう。

Ⅲ・「買い戻された私たち」

  1. ボアズの誠実さ

    ボアズはルツに対して、とことん誠実であった。決して欲におぼれず律法に対しても忠実であった。そして愛と慰めに満ち溢れていた。私たちにとってのボアズは誰であろうか?一歩間違えばどん底に落とされる絶望から買い戻し愛と慰めと誠実に満ち溢れたお方がいる。

B.キリストによる買い戻し

ルツはボアズという存在と出会うことができた。私たちはキリストという存在と出会うことができ、十字架上の死によって罪による絶望から希望へ、苦しみから喜びへと贖い出し、私たちを買い取ってご自身のものとしてくださった。永遠に消されない財産が保証された。

結論:ナオミはルツの幸せを願った。そして、自らの苦しみの先にある希望を主の導きの中に見つけることができた。それはボアズであり、買い戻しの制度であった。ルツはその恵みの中で異邦人でありながら、この唯一まことの神の導き、神の律法に従い歩んだ。私たちも思いがけない苦難、痛みを覚えることがある。しかし、神は私たちを見捨てることなく、愛と慰めと誠実さをもって私たちを守り、救ってくださる。ルツにはボアズが与えられた。私たちにはキリストが与えられた。このキリストによって私たちは、絶望から希望へ、苦しみから喜びへとその方向を転換させることができ、栄光の勝利に向かう歩みへと誘われている。この恵みをしっかりといただき、存分に味わおうではないか。


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# by ontheway-chapel | 2018-02-06 17:01 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「落ち穂拾いに行ったルツ」

  1. 律法に支えられたルツ

    当時イスラエルの律法においては貧しい立場に置かれている人(やもめや在留異国人など)に対して、施しを与えるよう奨められていた。神の目的はすべての人の幸せであり、神がすべての人を愛されたように、私たちにもすべての隣人を愛するよう願っておられる。

  2. ナオミに仕えたルツ

    ルツが働いた動機の一つには、自分の生活を守ることと同時にナオミの生活を守るためでもあった。ルツはあなたの神は私の神というほどに主を真摯に愛し、同時に自分の隣人であるナオミをも真摯に愛した。ルツの生き方は神(縦)と人(横)の関係においてお手本となる。

Ⅱ・「一生懸命働いたルツ」

  1. 重労働に励んだルツ

    落ち穂拾いの働きは、身分の低い人たちがする仕事であり、大変な重労働であった。身も心もくじけてしまいそうな働き。しかし、ルツは自ら出て行き、休みもせずに一生懸命働いた。私たちも本意ではない働きに召された時、このルツのような姿勢が求められていく。

  2. ひたすらに生きる

    私たちに与えられている働きは何だろうか?その動機は自分がしたいことなのか、神様から与えられているものなのか確認したい。いやだと思う働きでも、それが主から与えられているものであるならばそこに従いたい。その先には思いがけないチャンスが広がっている。

Ⅲ・「主の恵みをいただいたルツ」

  1. ボアズとの出会い

    ルツとボアズとの出会いは、偶然行った先の畑の持ち主という関係ではなかった。主が与えてくださった祝福であった。ボアズは律法に定められている以上の行為をもってルツをもてなした。ルツが神様と共にいることを願ったとき、神様は喜びをもってルツを祝福した。

  2. どうしてこんなに親切に

    ルツはボアズにこのような自分に対する過剰なほどの施しに対して戸惑いと感謝の意を示した。神様は求める者には惜しむことのない恵みを与えて下さる。真摯に人に尽くし、真摯に働き、真摯に主を求めたルツに神は最高の(後のイエスにまでつながる)恵みを与えた。

結論:ルツの落ち穂拾いの話は絵画などでも有名である。しかし、その背後にある素晴らしい神様の恵みについては、見落とされてしまいがちである。落ち穂拾いができる環境を与えたのも主ご自身であり、ボアズとの出会いを演出されたのも主ご自身である。そして惜しみない恵みを注がれたのも主ご自身である。そこにルツの真摯な姿勢が加わる時、あまりにも美しい世界が広がっていく。私たちにも同じチャンス、恵みが備えられている。真摯に主を待ち望む者とさせていただこうではないか。


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# by ontheway-chapel | 2018-02-06 17:00 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「キリスト不在の希望」

  1. 希望とは

    多くの人が希望とは何か?と問われたら「将来的に何か良いことが起こるのではないかという期待」というものを漠然と思い描くだろう。そしてすべての人がこうした希望を胸に抱く。しかし聖書に記されている希望とは、神を信じて救われた者に与えられる賜物である。

  2. 漠然とした希望

    こうした希望を抱く中で、その希望の根拠はどこにあるかと問う時、大きく二つに分かれる。それはキリストがそこにあるかないかである。キリスト不在の希望は無知であり、欲に満ちたもの(14節)であり、自分中心の虚しい、先のないものとなってしまう。

   Ⅱ・「キリストに満ちた希望」

  1. 聖なるお方から与えられた

    ペテロは私たちの信仰と希望は神にかかっている(21節)という。つまり、その根拠は神にあるとしている。神は聖なるお方であり、その神がなしたキリストの復活によって生ける望みが与えられた(3節)とあるように、地上のみならず永遠に約束された希望を握っている。

  2. キリストを信じる

    イエス・キリストを信じるという信仰、神に対する畏敬を希望の源とするとき、その人の人生は希望に満ち溢れたものとなり、喜びと感謝が心に迫って来る。神はすべての人に希望を求める思いを与えている。その根拠をどこに置くかが問われている。本物の希望を求めよう。

結論:目の前の小さな希望、遥か彼方にある大きな希望。誰もが抱く希望の根拠をどこに置くかによって、その希望の先にある大きな喜び、感謝にたどり着くか否かに分かれる。キリストによる希望は最終的には終末的な希望とつながっていくが、将来的なことに限らず、この地上においてもすでにこの希望によって私たちの日々の生活、人生がより豊かにされ、確かな根拠をもって希望を見据えて喜び、感謝して生きることができるようにされている。将来の希望が見出せない時代にあって、私たちは本当の希望をいただいている。確かな根拠をもって希望をはっきりと見出すことができている。この希望の光は、決して消えることなく、失われることがない。それが聖書の教えであり、神を源とした希望の確かさである。


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# by ontheway-chapel | 2018-02-06 16:59 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「逆境を通して輝く信仰」

  1. ナオミの試練

    ナオミはききんにより故郷を離れなければならなかった。しかもモアブはイスラエルに敵対していた土地。危険、不安様々な事柄が渦巻きながらナオミは夫と二人の息子と共に移住し、その地で夫に先立たれ、二人の息子はモアブ人の嫁を迎え入れた。霊的に希望がない状態。

  2. 神のご計画

    ナオミは息子とその嫁たちと約10年一緒に過ごしたとある。そこでの生活はどのようなものであったのだろうか。しかも息子たちにも先立たれた。信仰を捨ててもおかしくない過酷な試練の連続の中で、ナオミの信仰は決して衰えることなく、ルツを照らし続けていた。

Ⅱ・「ナオミの決心」

  1. ユダの地へ戻る

    ナオミのように未亡人となった者に対して、律法では死んだ夫に近い親戚が面倒をみるようなっていたが、息子たちも死に、頼れるのは二人の嫁であった。しかしその嫁の今後の幸せを願い、自分だけがユダの地へ戻ることを決心した。それは自らを無にする行為でもあった。

  2. 嫁の反応

    二人の嫁はナオミの決心に対して、一度はナオミと一緒にいようとする。しかしナオミの説得でオルパはモアブの地へ戻った。一方ルツはナオミから離れようとはせず、その生涯をナオミと共に過ごす決意を語った。これはルツが自分を無にするかのような決心であった。

Ⅲ・「ルツの決心の背景」

  1. あなたの神は私の神

    ルツがこのように言えた背景は、おそらくナオミとの10年にわたる共同生活の中にあった。ナオミの神に対する誠実な信仰、忠実な生き方を見て、時に教えられていたと想像できる。この信仰を通して義理人情ではない、霊的な深いつながりが二人の間に生まれていたのだ。

  2. 逆境を用いる神

    ナオミにとってはいったいどこに神の守り、祝福があるのだろうかと思えるほどの試練、逆境があった。しかし神はそれを用いて、ルツにあなたの神は私の神と言わせた。神は信仰者を決して見捨てない。そして忠実に生きる者に大きな祝福と恵み、報いを必ず与えて下さる。

結論:私たちも思いがけない問題、試練を経験する。すべてが逆境のように感じることがある。しかし、神はそのような中にも働いてくださり、その先に素晴らしい祝福と恵みを与えて下さる。目に見える現状がどれほど厳しかろうが、神がともにおられる時それらは必ず祝福に変えてくださる。どのような時であって、自分の信仰を貫こう。その信仰者としての姿が私たちの隣人に光となって届き、その人の心までをも変えてくださる。自分の祝福だけではなく隣人の祝福も求めていこう。その時、主は両者を祝福してくださり、私たちが信じている神を見て、その神こそ本物であり、私の神であると言わしめるのだ。


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# by ontheway-chapel | 2018-01-10 13:43 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「勇気に満ち溢れる」

  1. 外なる人

    パウロはものすごい厳しい迫害を経験した。人間的に考えたらもうあきらめてしまう、心が折れてしまう。そのような時、私たちは絶望してしまうが、それゆえに永遠の報いを捨て去らないようにしたい。ピンチの先には必ずチャンスが待っている。

  2. 内なる人

    パウロがピンチの時、どこに拠り所を求めたのか。この世の力ではなく、私たちの内に働く聖霊からくる内なる力、強さに拠り所を求めた。目に見える現実の世界だけを見ているならば救いを見出せないかもしれないが、内に働く神への献身を持つとき、勇気に満たされる。

Ⅱ・「永遠の栄光に照らされる」

  1. 今の時の患難

    私たちの教会も今年は厳しいところを通された。目に見える現実を見るとき、どこにこの先の希望を持てばいいのかわからなくなる。自分たちでできることは喜んでしたいと思うが、そこには限界がある。しかし限界の先に神の益を発見することができる。

  2. 永遠の光によって

    苦しみを通る時、キリストの苦しみを思い起こすことができる。苦しみを通して謙虚になることができる。その先に展開に希望を求めることができる。苦しみから私たちを解放させる神の偉大なる力を証しする機会となる。そこに神の永遠の栄光を仰ぎ見ることができる。

Ⅲ・「神とともに」

  1. 見えるものではなくみえないものを

    神はどこにいるのか、神などいないと直接その目で見ないと信じないという人がいる。そういう人は見ても信じられない。なぜならばすでに神のみわざを見聞きし、体験しているから。でも見えない神のみわざを見ることができた時、神はいつも共におられると実感できる。

  2. 永遠の世界に生きる

    厳しい現実を前に神を見ることができた時、神の愛なる世界、痛みも苦しみもない世界で神と永遠に生きることを知ることができる。その神がこの世においても共にいてくださる。そこに希望をもって様々な困難を前にしても私たちは希望をもって生きることができる。

結論:神の愛は偉大である。私たちの想像をはるかに超えた素晴らしいみわざによって、日々私たちに注がれている。外の世界だけを見て、この世の現実だけを見ていると苦しみが永遠に続くように感じ、希望を見出せないかもしれない。しかし、内に働く神の愛、みわざ、聖霊の働きに思いを寄せるとき、現実は厳しくても、日々私たちの内に働いてくださる神によって私たちは勇気に満ち溢れ、前に進むことができる。そしてその先に神の永遠の恵みを存分に味わうことができる。この世の困難をも乗り越えることができる力をいただくことができる。神はこれまでも、今も、これからもずっと共にいてくださるから。


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# by ontheway-chapel | 2017-12-31 16:30 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「この世は闇」

  1. 人生はむなしいのか

    人は死んだらどこに行くのか?人生の大きなテーマ、永遠のテーマかもしれない。死の先に何があるのかわからない故に人生は闇であるという。「人生は3(産・誕生)+4(死)=0(むなしい)」と教えてもらったことがある。本当にそうだろうか?

  2. だからこそ希望を探す

    むなしいままで、ただ闇に向かって生きていくだけの人生から脱却したいと願う。どこかに希望はないか、闇ではなく光を求めてさまよっている。しかし聖書は「人生は3+4=∞(永遠)」であると教えてくれる。その+は十字架と読む。そこに唯一の希望がある。

Ⅱ・「闇に光が届けられた」

  1. 希望の光

    人々は闇から逃れるために、虚しさから脱却するために、光を求める。しかし世には偽りの光がたくさんある。しかし不完全な光は闇に打ち勝つことはできない。むしろ人々を惑わし、混乱へ追いやる。そのような世界に真の光が、本当の希望の光がすべての人に届けられた。

  2. 闇を追放する光

    イエス様の到来によって、絶望という闇が追放された。むなしいだけの人生から勝利の人生が与えられた。死という闇が追放された。そして、いつも共にいてくださる光によって私たちに生きる力、喜びが与えられ、神の子どもとされる特権が与えられた。何たる恵み!

Ⅲ・「光によって与えられたもの」

  1. 恵みの上にある恵み

    イエス・キリストを知れば知るほど、愛せば愛するほどに、私たちはよりキリストのすばらしさを味わい、その人生がさらに豊かにされる。それはどこまで行っても尽きることがない。

    そこにはむなしさも、絶望もない。これ以上ない最高の恵みがこの光によってもたらされた。

  2. 最高のプレゼント

    イエス様のご降誕をお祝いするクリスマス。なぜか、私たちはプレゼントをもらう。しかし本当のプレゼントはイエス様そのものである。この最高のプレゼントをまだ受け取っていない人がたくさんいる。どんなプレゼントに勝るイエス様をしっかりといただこう。

結論:クリスマスプレゼント、今までいろいろなものをもらってきた。しかし、それらはいつか無くなってしまう。人生においてあらゆる物事も同様にいつか無くなってしまう。私たちの命も。だから多くの人は死が恐ろしく、不安になる。死んだらすべてが無くなるならば何とむなしく、希望も無くなる。しかし、そのような闇が支配するかのようなこの世に光が与えられた。イエス様が来られたことで、すべての人がその光に照らされた。すべての人に希望を、生きる力を、最高の人生を、そして永遠のいのちがプレゼントとして差し出された。このプレゼント、絶対に手にしたい。素晴らしいクリスマスのプレゼントはあなたのために備えられている。


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# by ontheway-chapel | 2017-12-25 12:36 | Comments(0)

本論:Ⅰ・「人間には限界がある」

  1. 処女が身ごもる

    私たちはかつて学校の保健の授業で生物が子孫を宿すための仕組みを学んだ。これは科学的にも証明されている事実である。しかし、その常識を打ち破る方法で救い主が誕生した。これはどんなに科学が発達しても決して人間にはできない。それがマリヤの身に起こった。

  2. 高齢の女性が身ごもる

    その直前に老夫婦ザカリヤの妻エリサベツが身ごもった。常識的には不可能と思える出来事。ザカリヤもマリヤもどうしてそんなことが起こるのか理解できません、絶対に有り得ないと思った。どれほどの立派な人でも不信仰に陥ることがある。そこには人間の限界があるから。

Ⅱ・「神には限界がない」

  1. 不可能を可能にする

    人間の常識、知恵の範囲では絶対にありえない、理解しえないことであっても、神にはそれができる。神はこの宇宙を、地球を、人間をすべてを創造するほどの力を持った方。無から有を造り出すお方。そしてそのすべてを支配する権威あるお方。神にできないことはない。

  2. 我々人間にそのみわざをなす

    神は遠い昔にとてつもないみわざをなしたが、そのみわざは過去にとどまらず、現代を生きる私たちにもそのみわざをなす。目を上げて周りを見渡す時、自分の人生を振り返ってみる時、いたるところに神の大いなるみわざ、理解を超えるみわざがなされていることを知る。

Ⅲ・「神のみわざへの応答」

  1. マリヤの応答

    マリヤは受け止めきれない事実を前におどろきとまどったものの「おことばどおりになりますように」と信仰を持って受け止めることができた。不可能を可能にする神のみわざに自分の思いではなく、神のご計画に全面的に従うという信仰をもって応答することができた。

  2. 私たちの応答

    マリヤに対して私たちはどうであろうか?どうしても自分の考えや希望が最優先されてしまいがち。でも自分の気持ちではなく神のみわざに優先権をもって物事と向き合う時、救い主をお与えになった神の大いなる恵みが惜しみなく与えられていることに気付けるのだ。

結論:神がマリヤやザカリヤを通して、聖書全体を通して驚くべきみわざをもって私たちの歩みを導いておられる。時にその意外性に私たちはひどく戸惑ってしまうかもしれない。あまりに受け入れがたい事実を前に不信仰の応答をしてしまうかもしれない。しかし、その先にある神の恵みに目を留めていくためにも、自分の思いではなく、神のみわざを信じ従順に受け入れていくことが求められている。イエス様はそうしたマリヤの従順さによってこの地上にお生まれになった。その神は私たちを用いてみわざをなそうとしている。おめでとう恵まれた方、といつも共にいてくださり、私たちを祝福してくださるのだ。


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# by ontheway-chapel | 2017-12-25 12:35 | Comments(0)