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聖書のメッセージ

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川越国際キリスト教会の礼拝メッセージです。

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イエスの母マリヤの信仰は当時にあって非常に強いものであった。
当時、本来ならば正式な結婚をしていない男女に子どもが与えられることは刑罰の対象となる大問題であった。
処女であったにもかかわらず子どもを宿すなど誰が信じてくれるだろうか。
しかしマリヤは神のご計画、神から与えられた賜物を受け入れ、そのご計画に従った。
人間的な価値観では到底理解できない、受け入れられないことであっても、すべて神の御心のままになるようにと受け入れる純粋な信仰がマリヤにはあった。
そして、マリヤはこの後の時代すべての人が思う幸いなる人へと変えられていった。
その背後にはすべてを受け入れ、神に感謝し、喜びの賛美をささげたマリヤの信仰があった。
このマリヤこそ、神に用いられやすい器であった。
しかし、マリヤはイエスを宿し産むだけではなく、イエスの十字架の死を見届けた。
神の祝福のご計画には私たちの思う理想とはかけ離れた試練、痛みを伴うことがあるかもしれない。
それをすべて受け入れることは簡単ではない。
でも私たちもこのマリヤの信仰に倣い、この地上にあって誰もがうらやむ幸いなる人となろうではないか。


# by ontheway-chapel | 2020-12-16 11:50 | Comments(0)

教会の暦では今日からアドベント(待降節)に入る。
これは主イエス・キリストのご降誕を待ち望む時間であり、クリスチャンにとっては喜びと感謝を改めてかみしめる時期でもある。
神の愛はいつの時代にも変わることなく永遠に私たちに降り注がれている。
それほどの大きな愛をもって神は私たちを愛しておられるからこそ、何とかして私たちを闇の世界で埋没してしまわないようにと救いへと導こうとされた。
そしてそのために真の光であるイエス・キリストを世に送られた。
このお方は神の御子でありながら、私たちのために生まれ、私たちのために死んでくださり、私たちのすべての罪を負ってくださった。
そして私たちのためによみがえられ、永遠のいのちを与えて下さった。
それゆえにイエスを信じ受け入れる者はたとえこの地上での生涯を終えても、天国で永遠に生きながらえることができるのだ。
だから私たちはいつまでも闇のなかで恐れる必要はない。
このお方が共におられるゆえに平安が与えられ、私たちは希望をもって生きることができる。
喜びをもって歩むことができる。
クリスマスはこの恵みが与えられた日。
喜び、期待しつつこのアドベントの時を過ごさせていただこうではないか。


# by ontheway-chapel | 2020-12-16 11:46 | Comments(0)

エジプトに来てからまじめに働き主人からも信頼されていたヨセフは、主人の奥さんからの誘惑を受け、拒んだものの奥さんの怒りを買って無実の罪を着せられてしまった。
またもや納得のいかないことが起こり、ヨセフは不遇と思える目に遭うことになった。
その直前までは、エジプトに売られるという最悪とも思える中に、官邸に仕える役人に信頼され、数々の功績を挙げることができていた。
人は物事がうまく進んでいる時には素直に神様をほめたたえ、感謝することができるかもしれない。
しかしひとたび、試練に遭遇し、困難を極めるとき、それも自分の身に覚えのない疑いをかけられ、理不尽とも思える扱いを受けるとき、神は一体どこにおられるのか、とその存在すら疑い出してしまう。
しかし、大切なことはいついかなる時も、自分の目には見えない、実感できずとも、神はともにおられ私たちを最善へと導いておられることを忘れてはいけない。
苦難はあるが永遠ではない。
私たちを決して見捨てることのない神は、その先に確かな祝福を備えてくださっている。
だから神を信頼しよう。
そして自分の集う、自分にとっての最善ではなく、神がなされる最善にこそ期待しよう。
そこに希望を見出せる私たちは何と幸いなことだろうか。



# by ontheway-chapel | 2020-12-16 11:40 | Comments(0)

ついにヨセフは兄たちの怒りを買い、殺されそうになったが、いくつかの神様の不思議な導きの中で命は助かった。
しかしヨセフはエジプトに売られることとなってしまった。
ヨセフの立場からすると、なぜ自分が兄たちからの怒りを買って殺されそうになったのか?
どうして家に変えることができずに、エジプトに売られることになってしまったのか?
ここで自分の身に起こった事は青天の霹靂と思えたかもしれない。
兄たちからすると長年の恨みを晴らしたように思えたかもしれない。
しかし、神様の視点は違った。
すでに神はヨセフに兄弟たち、親も含めて「ヨセフを伏し拝む」という夢を見せていた。
ヨセフがエジプトという地に売られたことも、すでに神様のご計画の成就のための過程であった。
私たちの人生も神様の御手の中にある。
自分では納得できないことであっても、今見えている現実、困難、それらすべては神様のご計画の完成への過程にある。
ならば、その神の視点にこそ目を向け、思いを寄せて私たちはその御手にゆだねていきたい。
なぜならば、神は私たちを愛しておられ、私たちの人生を祝福してくださる。
大切なことはその道から外れないことである。
神と共に歩もう!その先には確かに幸いなる人生が備えられている。


# by ontheway-chapel | 2020-11-19 17:07 | Comments(0)

神様から与えられたものはすべて、大切なものである。
だからうれしいけれども、それは自分がすごいからもらえたものではない。
だから決して自慢するものではなく、神様への感謝の思いを持つことが大切である。
私たちも神様からそれぞれに与えられたすばらしい贈り物(ギフト)がある。
それは本当にすばらしい大切なもの。
それをいただくことに対して遠慮する必要はない。
むしろしっかりと受け取って感謝すればいい。
ただ、それをもって自慢したり、他人を見下したりするものではない。
ヨセフは自分が見た夢の意味がわからなかった。
また特別に父イサクから可愛がられていた。
そうしたなかでヨセフはどこか得意になってしまい、兄たちの思いに気づくことなく偉ぶってしまったかもしれない。
それが相手を傷つけることになってしまい、怒らせてしまうこともある。
あなたに与えられている神様からのギフトは何だろうか?
絵が得意、字が上手、歌がうまい、足が速い、心が優しい、みんなに愛されるキャラクター・・・
それはあなたに与えられているものだから、人と比べて優劣をつける必要はない。
だからそれぞれに必ず与えられているギフトを発見して素直に神様に感謝しよう。
そしてそのすばらしいギフトを何よりも神様が喜ばれることのために用いていこう。


# by ontheway-chapel | 2020-11-19 17:02 | Comments(0)